秘密屋-4
「綺麗な指をしていますね、」
見開いた侭の目を起点に、私は体中の血液が正常の方向へと流動し始める。力が抜けた。「カウンセラーもどき」から小説家の自分に返る。焦り狂っていた自分と直面し、躓く笑い声を発しながら間の抜けた表情になってしまう。この男……なんとも厄介な人間だ。
「はは……。そうですか?」
倦気に応えた。ため息一つ零れた。はっとして首を左右に振る。イケナイ、イケナイ。これも仕事の一環。姿勢を正して桐島の正面、自分のソファに腰を沈める。その拍子に胃が軋んだ。予想外のエネルギーを使ったせいか腹が鳴った。否、それだけではない。思い起こせば昼食を摂っていなかったのだ。
「唐揚げ、頂いてもいいでしょうか、」
私がそう尋ねると桐島は暫く躊躇ってから小さく頷いた。何故躊躇うのか。その曖昧な動作に首を傾げることもなく非常に腹を空かせていた私は目の前の、紙袋の頭を摘む。素早く封を解いた。爪楊枝が一本頂きの肉に突き刺さっている。
「爪楊枝一本しかないですね。待っていて下さい、もう一本、持ってきますから。」と私が言う。
「ああ、僕は食欲がないので。お構いなく。召し上がってください。」と桐島が言う。
「一本」で爪楊枝のことだと判るとは流石唐揚げ店経営者。否々、経営者でなくともこれを包んだ者ならば誰にでも通じることなのかもしれない。私は相変わらずの思考の過剰さに思わず自嘲した。そして桐島が言った通り、お構いなく唐揚げを頬張った。味覚に集中したかった。たとえ不味くとも美味いと言ってやろ うと思った。
ところが双方とも、しあぐねる。私が唐揚げを咀嚼するその様子を桐島がまじまじと見据えてくるのだ。はっきり言って気色悪い。もしかしたら味の感想を聞きたいのか。こんなに鼻息を荒くして。だが、先程会った女は有名店と言っていた。故に味の感想など五万と聞いてきた筈。それを再び素人の私の口から聞きたが る理由が分からない。たまらず私は問う。
「何ですか、」
私の訝しげな表情に、額の油を服の袖で懸命に拭って言う桐島。
「ええ、いや、はい。そうそう、あまりに指が綺麗だなと思いまして。」
「そうでしょうか。そうでもないと思いますが。」
訥弁の桐島に私はわざと小首を傾げてみせる。嫌味な態度をしてやりたくなった。客にも関わらず。これが私の嫌いなタイプの人間だと言う事を初めて知った。
「はい、指です、ええ。あのですね、その、僕ですね、実は、指フェチ……そう、指フェチなンですよ。」
肉塊、基、頬を赤らめて急に告白する桐島。言葉と色を失う私。それでも按ずる事はない。桐島が先刻の彼とは別人のように饒舌になったからだ。こんなに嫌悪感丸出しなのに、彼自身の鈍感力に救われた。救われたのは私だけでは無いのだから、万事解決に向かっているという訳だ。桐島はつらつらと喋りだす。
「指の綺麗な人に悪い人はいないンです。ええ、本当に。だから貴方もきっと、否、絶対いい人なンですよね。と言うのもですよ、今まで僕が愛……愛した人は、愛した人は皆、指が綺麗な人なンです、へへ。」
頬を赤くした桐島の目。私の指を見据えている。
――ひいっ、気持ちが悪い。
心の叫びは声にすることなく私の胸に留まって息苦しい。桐島の異様なペースに飲まれてしまう自分が居る。私を何処に連れて行くのか、桐島が未だ先へ先へとレールを、言葉を紡いでいく。