還らざる日々T-13
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となりの席から聡美の嗚咽が一生の耳に聞こえて来た。
映画が始まってから1時間ほど経った頃の事だ。
2人が観ているのは〈〇〇のクリ〇マス〉という、あまり話題にもならなかったアメリカ作品の、リバイバル上映だった。
ストーリーは17世紀のアメリカを舞台に、南北戦争で負傷した兵士と、それを献身的に看護する女性との心の交流を描いた作品だった。
兵士は前線で戦った末、大怪我を負った。
両手両足を奪われ、目、耳、喉をやられた身体で、野戦病院に運び込まれた。
彼は1週間あまり生死の境をさまようが、医師と看護婦の懸命な治療により一命をとりとめた。
しかし、助かったとしても彼には動く事、見聞きする事など、人間としての全てが否定された状態だった。
そんなある日、看護婦は彼の身体に指で文字を書いた。
〈ワタシノナマエハエリオット。ワカル?〉
すると、彼は首を上下に動かし文字に反応したのだ。
彼が初めて人間らしい〈会話〉を取り戻した瞬間だった。
このあたりにくると、一生の目も潤んでいた。
となりの聡美は、ハンカチで何度も目元を押さえている。
元々化粧っ気が少ない彼女だから泣いても平気だろうが、普通の女性なら化粧が流れてしまってるだろう。
映画はクライマックスを向かえていた。
冬を迎え、野戦病院にも雪が降る。
男の学習能力は著しい上達をみせ、エリオットとの会話も一方通行ではあるがスムーズなモノになっていた。
彼女の胸に書く文字も速く複雑になってきた。
ある日、会話の途中で彼が激しく首を動かした。
エリオットは最初、発作が起ったのかと医師を呼んだ。
だが、医師は身体は問題ないと言う。彼女は文字を書いた。
〈ダイジョブ?〉
男は首をゆっくりと上下、左右、斜めに動かす。エリオットはその動きを見守った。
そして、分かったのだ。彼は身体の動きで文字を書いていたのだと。
看護婦は彼の動きを追った。
「ワタシノナマエハアンダーソン」
ついに二人は〈双方向の会話〉を成り立たせたのだ。
そして、しんしんと雪の降る夜、エリオットはアンダーソンに指で話し掛ける。
「今日はクリスマスよ」
アンダーソンは答えた。
「メリークリスマス。エリオット」
映画が終わっても一生はしばらく席を立てなかった。彼ではなく彼女によって。
聡美はエンド・ロールが流れる頃から下を向いたまま頭を垂れていた。
スクリーンが真っ白になり会場に照明が入る。
周りの人々は席を立ち上がり、出口へと向かっていくが聡美はずっと頭を垂れたままだ。