還らざる日々T-8
「今日は色々ありがとう」
聡美はそう言うとペコリと頭を下げた。
「また来るからな」
聡美がバイクで出掛けるのを見送ろうと、一生は自分のバイクの前で立っていた。
だが、彼女もバイクの前に立ったままだ。
「行かなくて良いのか?」
「アナタこそ先に行ってよ…」
「オレはオマエが出掛けるのを見送りたいんだ」
「ダメよ。私、あなたの後姿が見たいの」
苦笑いを浮かべる一生。
「お願い、ねっ」
仕方なく一生はヘルメットを被るとバイクに跨った。
「次は見送るからな」
聡美はニッコリと笑う。
「無理ね。私はアナタを見送るのが好きだから」
一生はバイクを走らせた。その後姿を聡美は微笑んで見送っていた。
───
夜の事務所。一生はひとり、明日の会議資料を作成していた。
彼の会社では、月1回の企画及び提案会議が開かれる。これは、習慣化した仕事の手順や運用方針を見直し、競争力のある会社にするための会議だ。
一生は〈ある企画〉を上司に話したところ好感触を得た。そこで会議に出席する事になった。
彼はプレゼンテーション用資料を作成中だった。
その時、目の前の電話がなった。
腕時計を見つめると、時刻はすでに午後9時を過ぎている。
〈こんな時刻に誰だ〉と思いながら一生は受話器を取った。
「ハイ、〇〇工業ですが…」
「…淺井さんをお願いします」
聞き覚えのある女性の声だった。
「淺井は私ですが…どちらさまでしょう?」
途端に女性の声がカン高いモノに変わった。
「私や!尚美や」
耳の鼓膜に響く声。一生としては、あまり〈ありがたくない電話〉だった。
「よう、どうしたんだ?」
「どうしたやないよ。最近ちょっとも会えへんし…」
「仕事に追われててな。会社にいるんだから分かるだろ」
「あんな。私、明日、誕生日なんよ。終わったら来えへん?」
喋り方からして少し酔っているようだ。一生はイラ立ちを抑えながら答える。
「今はそんな心境じゃないんだ。悪いが切るぞ」
尚美の声が涙声に変わった。