エデン-2
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今日の予想最高気温は40℃を越えると言われていた。どうりで暑い訳だ、と、僕は額から流れる汗を拭いながらベランダに佇む。
彼女が帰ってくるのは何時も7時頃だった。スーパーの袋を提げて、帰宅して先ずする事は音楽をかける。それから一口珈琲を飲んで夕飯を作る。
彼女が、出来た料理を並べて食事を始める頃、僕も一緒にカップラーメンをすする。
だけど今日は金曜日だ。彼女の帰宅は少し遅いかもしれない。
僕は時計に目を遣った。7時前だった。
ふとカーテン越しに男の影が揺れた。彼女の恋人、であるはずの男だ。そして続いて女の影が動く。
僕は目を剥いた。その女は彼女ではない。
茶髪のショートカットに、すらりと長い足から次第に上の部分を、男の唇がなぞっていく。
男は彼女の部屋で、しかも彼女ではない女と堂々と浮気を働いていた。
「なんて野郎だ…」
僕の悲しみが、次第に狂気へと変わっていく。
あんな男は彼女には相応しくない。僕こそが、僕が彼女を幸せにできる男だ。
いつの間にか僕の手には包丁が握られていた。
僕は一心不乱に部屋を飛び出した。
他の事など目に止まらず、向かいのアパートの階段を駆け上がる。
廊下の一番奥にある部屋の前に立ち、インターホンを鳴らし続ける。既に僕の手はボタンを離れ、ドアを殴っていた。
「んだよ!うっせぇな!はい」
男が凄い剣幕でドアを開ける。上半身裸で、下に短パンを穿いている。
「あんた、浮気してただろ…」
僕の喉はぜえぜえと荒い音を起てている。
「はぁ?誰だ、お前?」
男は訝しげに僕の姿を睨め付ける。
「僕は全部知ってんだ。あんたのしてた事も、それに彼女の事も…」
言葉に詰まる。僕は彼女の事を想うだけで涙が溢れそうだった。
「はぁ?お前頭おかしいんじゃねぇか?俺はお前なんか知らねぇよ」
「トオルー誰なの?」
奥で声がした。女の声だ。
僕は男を押し退け部屋の中へと押し入る。
「おい!テメェ…!」
男が僕の背中に向かって怒声を上げる。僕は構わずリビングに突っ込んだ。
ワンルームの狭い室内にベットとテレビ、テーブルの上には残飯がちらかっている。
ベットの上には全裸で横たわる女がいた。さっき見た茶髪のショートカット。僕の存在を見つけて目を剥いている。
「あんた…やっぱりか」
僕は男に向き直る。
「なんだテメェは!出ていかねぇと警察呼ぶぞ!」
僕はズボンの中に隠し持っていた包丁を握りしめた。
「君が他に彼女がいたって事は知ってるんだ…長い黒髪の、華奢な体をした…ここの住人である人だ」僕はじりじりと男に詰め寄る。
「あぁ?ここに住んでんのは俺だよ!そんな女知らねぇよ!」
男は目を吊り上げ、僕を玄関へと突き出す。
「しらを切る気か?いいだろう。証拠は僕の頭の中にあるんだ」
僕の口からは自然と笑みが零れる。
「警察呼ぼうぜ!頭イカれてやがる」
男は僕に背を向け、リビングに行く。
僕は汗でぐっしょり濡れた包丁を取り出した。