【笹原義弘】-1
「笹原君、これお願い」
ここはとある会社の秘書課。
笹原、と呼ばれた男…笹原義弘(ささはらよしひろ)はデスクで作業中だったが自分の後ろを振り返る。
「これ。礼状なんだけど作っておいて欲しいの」
話しかけたのは社長の秘書をしている坂下麗(さかしたれい)だった。
「あ…はい」
「お願いね」
にこり、と坂下は笑うと去っていく。
――左手の薬指に光る、坂下の指輪。
笹原はそれを見て、ふぅっとため息をついた。
…その後の物語…【笹原義弘】
俺は坂下さんが未だに忘れられないでいた。
社長室で坂下さんに触れたあの感触――
柔らかな唇。
太ももの弾力。
触れた体液。
そして温かな坂下さんの中。
何もかも忘れられずにいるのに。
坂下さんは忘れてしまったかのように俺に普通に接してくる。
ボロボロに責められれば、いくらでもあなたの前から消えようと思うのに。
あなたの優しさは俺にとって辛い。
しかも…いつの間にか左手薬指に指輪が光っていて。
それに気づくのは、きっと俺がいちばん早かったに違いないと思えるほど…
俺はあなたを見ていた。
「義弘…?」
「え?」
隣の席の池内みのりが俺に突然声をかけてきた。
「すごく、ぼーっとしてる。体調悪い?」
「ううん。違うよ。何でもない」
みのりとは入社した時から仲がいい。
だけど、俺は坂下さんが好きなんていうことは一言も漏らしたことがなかった。
…その日、俺とみのりは残業で、まだ会社に残っていた。
他にも何人か残っていて、俺は終わらない仕事にイライラしながらも仕事を進めていたのだが――
秘書課のドアが開く。
秘書課の中に入ってきたのは坂下さんだった。
しかも、向かう方向は、俺の席。
俺の後ろに、気配を感じる。