恋の奴隷【番外編】―心の音I-2
―どどどくんどくん…
私の心臓は、不安定なリズムで跳ね上がる。それと同時に上昇する体温。
「…は、はづ、葉月く…」
「お、お前何してんだよ!?」
「葵の声、すごいうるさい。近所中に丸聞こえ」
葉月君はそう言うと、ようやく私を解放してくれて、その拍子に、腰が砕けたようにへなへなと座り込んでしまう。頭が真っ白になったせいで呼吸すら忘れていた私は、まるで金魚のように間抜けなくらい口をぱくぱくと開いて酸素を求めた。
「な、ナッチー!?大丈夫か!?…お前いきなりなんなんだよ!」
「こんなのフェアじゃない。葵だけ、ずるい」
目を睨むように細めて詰め寄るノロに対して、葉月君は顔色一つ変えずに淡々と話す。
「夏音は葵だけのじゃない」
「な、何で私の名前知ってるの!?」
私はハッとしたように目を瞬かせた。だって、朱李さんも昌治おじさんもなっちゃんと呼ぶし、ノロに至ってはナッチーだし。
「さぁ、何ででしょう?今日のところは引き下がってあげる」
口元に笑みを薄く浮かべた葉月君は、そう言うと私の頭をくしゃくしゃと撫でまわした。
「それじゃ、またね」
そう言って、くるりと背を向けて歩き出す葉月君に、私は呆然と目をぱちくりさせたまま、小さくなって見えなくなるまでその背中を見詰めていた。
「…ナッチー、立てる?」
「あ、ありがと…」
暫くして、私はノロの手を借りて立ち上がった。駅までの道のりがやけに遠く感じたのは、きっと、どちらも口を聞かずにただ黙ったまま歩いていたからだろう。いつもふざけてばかりのノロが見せた、真剣な表情に、私は返す言葉が見つからなくて。ノロもノロで、困ったように眉をしかめたまま、頑なに口を閉ざしていたから。私達はそれぞれの想いを巡らせながら、まるで闇に飲み込まれてしまったかのように、夜道をただひたすら黙って歩いたのだった。
あくる日、ノロと顔を合わせずらくて、学校に向かう足どりが鉛のように重い。私は電車に揺られながら、昨晩の一件について悶々と考え込んでいる。
これまでもノロには事あるごとに、好きだと言われ続けてきたけれど。その告白の全てが冗談みたいで、私はまともに考えたことなんてなくて。ふざけ合って、馬鹿みたいに笑って、そんな関係だったから。あんなに改まって、好きだと言われると戸惑ってしまう。駅に着くまでどちらも口を開くことなく、息が詰まるほどの気まずい沈黙が私達の間に流れていた。歩いて数十分程の道のりは何時間とも思えるくらい長く感じられた。そして、そのわだかまりは払拭されることのないまま、まるでどんよりと雨雲を背負ったように、朝っぱらから私の気分を重くさせている。考えれば考えるほど、憂鬱な気持ちになって、私はもう何度目かも分からない溜め息を静かに吐いたのだった。