無夢-5
結局、親父は私の子供の顔を見ることは出来なかった。
久しぶりの親子の会話から、僅か二ヵ月後のある日、親父はこの世を去った。
癌を患っていたらしい。誰にも告げなかったのは親父らしいな、と思った。もしかしたら、あの日、言うつもりだったのだろうか。
いや、それは無いだろう。
葬儀はしめやかに行われた。よく晴れた日だった。予想していたよりも多くの顔があり、挨拶だけで気が滅入る。参列者から離れたところに、ひとつの顔があった。遠くから、ぼんやりと眺めていた。思い起こせば、母さんの葬儀のときも彼女は遠くから見つめていた気がする。ある家族の過程を、見届けていた気がする。彼女が手にするはずだった、それを。
私は近寄り、声を掛けた。
「父に、会っていきませんか」姉さん。
泣き顔は、嗚咽し、戸惑い、頷いた。
彼女は、父の前に座り、手を合わせた。私は棺を開け、顔にかけられた布を取った。
ヒック、ヒック
すすり泣きのような音だけが響く。会話の無い親子の対面に、私は心のうちで言う。
ほら、親父、見たがっていただろう?
娘の顔を。
どうだい?
逝けるか?
私は聞いた。僅かに、親父の口元が緩んだ気がした。
きっと良い夢を見ているのだろう。
「ありがとうございました」
彼女は言った。「最初は、あの人を憎みました。でもやっぱり私は、あの人の子供でした」
最後に、参列者の欄に名を記した。
マサミ ――― 正夢。
意外だった。
てっきり、親父のことだから、マサミは『真実』と書くのだろうと思っていた。
今更ながら、また親父の新たな一面を見る。
信号は深夜らしく点滅を繰り返している。
私は仕事終わりの帰り道に車を止めた。
夜は変わらず、今日も冴えている。
シートを傾け、暫し仮眠をとることにした。どうせ明日は土曜だし、大丈夫だろう。
何年ぶりだろう。
夢を、見た。
横断歩道で、私と親父が、母さんを待っていた。
「なかなか信号、変わらないね」僕は言った。
「そうだな」相変わらず、親父は寡黙だった。
母さんは、待ちきれないようで焦りの表情を浮かべている。
「しょうがないな」親父は言って、あちら側に行こうとした。
「行くの?」僕は心配そうな声を上げる。
「あぁ、行ってくるよ。そうだ、あの虹色の命、大切にするんだぞ」
「うん、大切に育てるよ。大きく立派に育ててみせる」僕は言った。
遠ざかる背中。
憧れた、大きな背中。
どうか安らかに。
Trrr…… 携帯音に起こされ、目を覚ます。着信は、夕菜からだった。「今、どこにいるの?」
ゆめうつつに「今、帰るよ」と告げる。
「夕菜、大切に育てような、私たちの命を」
携帯を切りながら、キーを回す。響くエンジン音は、何かの息吹に似ていた。
私たちの子供は、その数日後に生まれた。
これからを七色に彩る、その子に私は「ユメ」と名付けた。
End of 無夢