無夢-2
実家へは、車で三時間ほどの道のりだ。さして遠くもないが、足繁く通うほど近くもない。
その中途半端さは、そのまま私たちの関係を表しているようだ。会社には体調不良の由を告げ、遠ざかっていたその家を目指した。
目的地が近づくにつれ、見慣れた街並みが姿を現す。所々、古い記憶と異なる風景はあるけれど、それでもあちこちに遥かな断片を拾うことが出来る。
例えば、いま通り過ぎた信号は、なかなか青信号にならず、いつも親父が赤の横断歩道を渡った。私と母さんは、それに習わず結局親父は、向こう側で私たちを待つことになる。
「和哉、あれは悪い見本だからね」笑いながら母さんは言った。
「うん」と勢いよく頷いた私は、その数ヵ月後には親父と一緒に赤信号の向こう側で母さんを待っていた。
例えば、いま車が出てきたガソリンスタンドは、昔は熱帯魚の専門店であり、癒しブームに乗り繁盛していた。家族で散歩をするとき、私は決まってその店に入り、決まって虹色の尾を翻す小さな魚を眺めた。あるとき、いつものように夜の散歩に出かけた私たちだったが、親父は気まぐれで散歩コースを変更した。「飽きたから」と如何にも後付けな理由に、子供ながら、その虹色が誰かに買われてしまったのだろうと密かに落胆した。
ちなみに、この話にはまだ続きがある。
その年のクリスマスに、私は熱帯魚が欲しいとねだった。標的は、青い尾を持った細長い魚だった。
あたまのなかでは、まだ、あの虹を追っていた。
その七色の軌道を、こころのおくで創っていた。
母さんは、水槽も餌も、砂利も何もないから無理だと言った。それでも欲しいと、抵抗した。他には何もいらないから、と。ただの子供の戯言に過ぎない。今思えば、何にこだわっていたのだろう。見かねた親父は、私に問う。
「命を育むということは、とても大変なことだ。自分の半身として、それを見守ることが出来るのかい?」
私は何と答えたのか、よく思い出せない。ただ深く頷き、その様子を親父が見届けていた。
数日後、学校から帰ると熱帯魚を飼うための一式が揃っていた。私は目を丸くして言葉を失う。あの専門店にあるような最新式の装置が付いている。
そして、水槽に踊る尾は、虹色に揺れていた。
今、実家の駐車場に車を入れながら想像する。いくつもの店を、虹色の尾を探して奔走する親父の姿を。やれやれ、と呆れ顔で水槽を取りつける母さんの姿を。
全てを失った今だから、その穏やかな日々が眩しい。
夢のある日常だった。
「お、よく来たな。元気だったか?」
久しぶりに聞く親父の声は、少しかすれ気味で。
「あぁ、何とかやってるよ」
久しぶりに交わす会話は、少しぎこちない。
実家の様子は、特に変わりなく閑散としている。
「親父は、いま何してるの?」
「特に、何も」
「それじゃあ、暇だろうに。仕事も引退して無趣味じゃ体に毒だぞ?」
「病人みたいに言うな」
居間に向かいながら交わすやりとりは想像していたよりもスムーズで、親父が返事を続けることに違和感すら覚える。
「夕菜さんも元気なのか?」
お茶を出しながら、親父は尋ねた。
「あぁ、いま六ヶ月だよ」
「・・・子供か?」
珍しく驚くような声を上げる。
「あれ、言ってなかった?」
「初耳だよ」
思えば、仕事に追われ、ほとんど誰にも報告をしていなかった。夕菜のほうから言ってあるものかと思っていた。親父は、そうかそうか、と頷いている。