恋の奴隷【番外編】―心の音H-3
「よし、決まり〜!」
満足そうな笑みを浮かべた昌治おじさんは、のんびりとした口調でそう言うと、ぐびぐびとビールを喉に流し込んだ。
「ナッチーがお嫁さん…幸せだな」
ノロは、私の隣の席でぼんやりと独り言のように、そう呟いて。誰かこの妄想馬鹿を現実世界に引き戻してはくれないか。
「朱李さんも昌治おじさんも!何を言ってるんですか!?は、葉月君だって迷惑よね!?」
私は今にも裏返ってしまいそうな声を抑えつつ、黙々と箸を動かしている葉月君に同意を求めた。さっきの対面では全身が凍りつくような思いをしたが、葉月君ならば椎名家で唯一、冷静に物事を考えられそうだから。
視線を下に落としたままの彼に、助けてとでも言うような眼差しを向けていると。箸を動かす手を止めて、真っ直ぐに私を見据えてこう言った。
「僕は別に迷惑じゃないよ」
―どくん。
胸の奥の方が大きく高鳴った。
刹那、葉月君の頬にえくぼがちょこんっと浮かび上がって。
微かにだけれど、笑ったように見えて。
背筋が硬直して、顔が赤く染まり上がるのが分かった。思わず、私は俯いてしまった。全身の細胞や血管が、まるでお祭り騒ぎでもしているように身体が熱い―。
しかし、私が顔を持ち上げた時には、もうさっきまでの涼しい顔をした葉月君に戻っていた。
「あら、葉月ちゃんもなっちゃん狙い?楽しみだわ!」
「葵君もぼんやりしてたら葉月君になっちゃんを取られちゃうぞ〜」
「楽しみだとか取られるだとか!ふざけるのもいい加減にしてくださいよ!」
私は朱李さんと昌治おじさんの悪ふざけに乗せられて、そちらにばかり気を取られていたわけで。そのすぐ近くでノロと葉月君がバチバチと火花を散らして睨み合っていたことに気が付きもしなかったのだった。