『二人の会話』-11
「あなたと話すときも、少しそれに似た感じがするのよ」
あなたと話すときも、少しそれに似た感じがするのよ。僕は頭の中でその言葉を復唱してみる。そこから表の意味を読み取り、裏の意味を読み取り、全体として葛西が伝えたがっていることを読み取る。きちんと読み取れたと判断してから、言う。
「僕は犬と同じってことか」
あえてまるで見当違いなことを。
「そうね」
葛西は意地悪く微笑む。
「でも僕はちゃんと日本語を話せる」
「そうかしらね」
お互いが見当違いなことを言い合うというのは、お互いがきちんと分かり合っていることの確認だ、と僕は思う。
「それとね、もうひとつ思い出したことがあるの」
葛西の視線が僕の目のまさに中心をぴったり正確に射抜く。僕は少しだけいやな予感がする。その予感だけで、首の後ろの辺りがむずがゆい。
「子供の頃、私はタロのことが大好きだったのよ」
予感はまったく的確に命中する。やれやれ、僕の顔は赤くなっているかもしれない。葛西は勝ち誇ったような笑みを浮かべている。感情がそのまま表れているような笑顔だ。他の何かのためじゃない。ただ笑いたかったから浮かんだ、余分なものも付いてないし、おかしな所が削れていない、ただの我が儘な笑顔。僕は一瞬言葉に詰まったのを、コーヒーに口をつけることで誤魔化す。
「でも、そうだな、タロのほうも君の事が好きだったかもしれない」
「かもしれない?」
葛西は相変わらず笑みを崩さないままだ。
「ああ、うん」
諦めて僕は言う。形勢はもうひっくりかえせない。
「きっとタロも君のことが大好きだったはずだ」
「よろしい」
葛西はもうすっかり満足した顔をして僕を見る。それに合わせて僕も笑顔を返す。葛西のそれよりも不自然で不器用なものではあるけれど。
総合的に見て、やっぱり今日も葛西の勝ちかもしれないな。まあいいさ、そんな状況に僕の方だって満足していたりするんだから。
「鍵を閉めていってね」
と、帰る前に葛西に言われたので、郵便受けから鍵を取り出し、ドアを開け、鍵を閉める。コートのポケットに手を入れると、なにかがカサリと手に触れる。ビニール製の小さな袋。僕はそれを取り出しさらに袋から中身を取り出す。ちいさなストラップ。バイトに行く前に寄ったコンビニで買ったペットボトルについていたおまけだ。特に要らないものだったけど捨てるのもなんだし、コートのポケットに入れておいたものだ。僕はふと思いつき、そのストラップを手に持っている鍵につける。デフォルメされた動物の飾りがついたストラップは、すぐにその鍵に馴染んだように見える。満足して僕は郵便受けに鍵を入れて、踵を返す。一人じゃなければ、あの郵便受けの中もそんなに悪くない場所かもしれない。
外は雪こそ降っていないものの、寒風は容赦なく空から下降してくる。僕はさっき飲んだコーヒーの熱を頼りに道を歩く。そうしながら僕は考える。今日のことはいつまで覚えているだろうか。そして、忘れた後に、いつまた思い出されるだろうか、と。忘れることも悪くは無いことかもしれない。思い出すことが出来る。一度忘却の門をくぐった思い出は、なにか違った風味と色を付与されて戻ってきて、僕に何かを気付かせてくれるかもしれない。今日という日は、そういう思い出になるといいと思う。