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『藤枝の話』
【少年/少女 恋愛小説】

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『藤枝の話』-2

僕はその頃もそれまでと変わらず藤枝に話しかけ続けた。席が隣であるという物理的原因を除いても積極性が残る程度には話しかけた。また藤枝もその話しかけに対してきちんとレスを返した。
僕は藤枝に男が近寄らなくなった事をチャンスとさえ思っていた。
もちろん先輩やクラスメイトの死は悲しむべき事だ。けれども、その事と藤枝の存在との繋がりなんてものは全く――僕にとっては、という事だけれど――関係のないものだった。
その頃には僕は人はいずれ死ぬものであるという事を理解していたし、なによりある種の人間とある種の人間がコミュニケーションを行うと、どうしてか負のエネルギーが発生し憎悪や虐待や自殺が起こる事を知っているつもりだった。これについては理解が不十分だった事を後に痛感するのだけれど。
とにかく僕と藤枝は様々な事を語り合った。
日本の政治とクジラの墓場の話。ブードゥー教に生きるヘビの話。戦争とふわふわの毛皮を持った五月のクマの話。
そしてネコの交尾の話。

〈ネコの交尾の話〉
「ネコのペ○スには棘があるって知ってた?」
ある時、藤枝は何の脈絡もなくその話を始めた。
「ネコのペ○ス?」
僕は言葉を繰り返した。そしてそんな単語を発したのが初めてであるという事に気付いた。
そ、ネコのペ○ス。と藤枝は無表情に肯定した。
「それで、交尾の時にはそれが引っかかるから雌ネコは痛くて爪を立てるの。するとその爪に引っかかれて雄ネコも痛がるの。で、結局誰も気持ち良くならない」
少し笑うみたいに藤枝は言った。少なく見積もっても明らかに藤枝はハイだった。
僕は何を言えばいいのか分からなかった。そもそも何かを言っていいタイミングなのかも分からなかった。
「でもそのぐらいセックスってストイックなものよ。少なくとも私にとっては。だから……」
けれど幾ら待ってもその言葉の続きは来なかった。
藤枝は無表情に口を閉じていた。
話は消えて、死に、終わってしまっていた。
そして藤枝の向こうの窓に大きな夕日が空襲の絵本のように空を焦がしていた。
その下で僕は藤枝とキスをした。
という、ただそれだけの話。

藤枝がセックス及び恋愛について話したのはその時だけだった。
さっきも言った通り僕たちは実にたくさんの話しをした。
そこには目的がなく、ただ流れだけがあった。
皮肉があって冗談があった。皮肉の中に皮肉があり冗談の中に冗談があった。また逆もあった。
付け加えて僕らはいつも真剣だった。
或いはそれは作業と呼ぶような対話だったかも知れない。
けれど季節は春に向かって前進していたし僕らは高校生になろうとしていた。
話さえ続けていけば全ては上手くいきそうな、そんな気配があった。
まあ、当然そんなものは妄想だったのだけれど……。

その日、藤枝は誰よりも早く校門をくぐった。
眩暈がするほどよく晴れた空々しい天気だった。
藤枝はまず図書室に入り返却デスクに谷崎潤一郎の春琴抄を返すと奥の棚からサリンジャーのキャッチャー・イン・ザ・ライを抜き取った。
その後教室でコートを脱ぎ丁寧にたたむとロッカーにしまい、机の上に本を置いた。
通学鞄の中から布切れ――それは花柄のシックなカーテンだった――を取り出し、上窓の枠に結び付けると、もう一方に輪を作り、そこに自身の首を通し重力に揺蕩った。
そうして藤枝は閉じた。
遺書はなかった。というか何もなかった。
僕が登校した頃には死体もなかったし、その自殺の理由を知る友人も恋人も誰もいなかった。
藤枝の死は翌日に予定されていた卒業式を翌々日にずらす事に成功した。
それだけだ。
そして僕は中学を追い出され春休みになった。


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