「命の尊厳」終編-17
「…私は…あの日から、今日のためだけに生きて来たんだ! 由貴の中で…ずっと…今日のために」
諒子の手から包丁が離れた。
まるで操り人形の糸が切れたように信也は倒れ、バタバタと身体を暴れさせて側溝へと落ちていき、やがて動かなくなった。
「…や、やっと……」
あの日から4ヶ月。ついに本懐を遂げた諒子は、肉塊と化した信也を見つめる。
涙が溢れ出て、頬をつたい落ちていた。
諒子は側溝へ手を伸ばし、包丁の柄を掴むとゆっくり引っ張った。
肉が刃を噛むわずかな抵抗と血液の滑る感覚が混ざり合い、ヌルリとした感触が掌に伝わってくる。
包丁すべてを引き抜いた。
首についた縦溝からは、湧き出るようにおびただしい血液が溢れ出て、側溝の底を赤く染めた。
諒子は哀しげな表情をすると、足早にその場を立ち去った。
折しも、そこは彼女が轢き逃げされた場所だった。
ポトッ ポトッ ポトッ、ポトッ
水滴が路面を濡らす。
小雨はやがて大粒の雨へ、そして突風を伴う激しい大雨へと空模様を変えていった。
その光景は、まさに、あの日を再現しているかのようだった。
「…あの…刑事課の桜井さんをお願いしたいんですけど……」
翌朝早く、〇〇県警〇〇署を訪れた、淡い色のワンピースを着た清純そうな女の子は、か細い声で警官に訊いた。
森下由貴だった。
対応に出た若い警官は、俯き、塞ぎ込んだ表情を不審に思い、
「桜井さんは1ヶ月ほど前に異動されてね。何か用だったの?」
気持ちを和ませようと、フレンドリーに話し掛けた。
由貴は、顔を上げて警官の顔を見ると哀しげな表情で答えた。
「…私。たぶん、人を殺しました」
「…エッ?」
警官は意味が分からないと言いたげに声を発した。由貴は、ゆっくりと再び答える。
「人を…殺したみたいなんです」
「ちょっ、ちょっと!」
警官はカウンターを飛び越え、由貴の腕を掴むと興奮気味に言った。