「命の尊厳」終編-16
(これで飛び出して行けば追って来れないだろう)
ニヤニヤと笑う信也。心はすでに繁華街へと飛んでいるのだろう。
その時だ。何かが信也の肩を掴んだ。
「うわあっ!!」
驚き、振り返る信也。
屋敷の明かりに浮かぶシルエットは、女を表していた。
「誰だ?理香か?」
知り合いかと近寄る信也。しかし、立っていたのは見た事も無い女だった。
全身黒づくめの女。
「オマエ誰?」
信也は訝しげな表情で女に聞いた。すると女はそれには答えずに、
「やっと見つけたぞ…」
そう語った声は、愛らしい顔立ちからは想像もつかないくらい、低く潜もったモノだった。
「だからオマエは…!!」
信也の声が止まった。
女の顔が目の前で変化する。
眉は細くつり上がり、それに合わせるように目は切長で鋭く変わった。アゴはシャープに、唇は厚くなり、髪は長く、緩やかな巻き毛になった。
「…オマエが…オマエが、私を殺した…」
信也の頭がフラッシュバックする。あの日、摂那に見た顔。
目の前に現れたのは、信也が轢き殺した野上諒子だった。
「うわあああぁぁーーっ!!」
絶叫を残し、信也は外へと逃げる。目を見開き、顔を引きつらせ、襲いかかろうとする恐怖から逃れようと必死に走った。
「…ハァッ、ハァッ…あぁぁぁ」
わずかな外灯の中を信也は走り続ける。靴は脱げ、裸足となった事も気づかないまま。
何処を、どう逃げたかは分からない。何度も転び、痛む身体を引きずるように進むと、前方に明るくなった場所が目に飛び込んできた。
「…ハァッ、ハァッ、ハァッ…た…助かった…のか?」
信也は後を振り向いた。
追って来る姿は無い、辺りは静寂に包まれ、自分の荒い息遣いだけが聞こえていた。
「…なんとか…逃げ…」
〈 ザクッ!〉
何かを言い掛けた瞬間、信也の首を激痛が襲った。
「…ぐっ…が…ががぁ…が……」
首の後から刺さった包丁は、信也の脳幹部を貫いて声帯をも切り裂き、切先を口から覗かせた。
包丁を握る諒子は、なおも深く刺そうとする。