月の裏側-1
―――僕の腕の中で彼女の体温がどんどん失われていく。その身体は思ったよりも柔らかく、信じられないぐらいに軽かった。
僕はその僅かな温もりを逃がさぬように、少しでも暖まるようにと、彼女をしっかりと抱き締めた。それが、死に抗ためにできる、たった一つのことだと信じて。
「…ねぇ、そんな悲しい顔しないで。私は幸せだったよ…」
そう言って彼女は、穏やかで美しく、そして、世界中の何よりも儚く笑った。
他の何よりも守りたくて、しかし、守れなかった―――
僕は読んでいた本を閉じると、それを机の上に置いてベッドに寝転がり、さっきまで読んでいた物語を頭の中で反芻する。
余命僅かの少女に恋をした少年の物語。普段はこんな本は読まないが、知り合いに薦められて読んでみた。
そのラスト、少年が少女の最期を見取るシーンで、心の底から何かが沸き上がった。それは悲恋に対する感動などではなく、羨みに近い感情だと思う。
誰かを一途に好きになり、他の何を犠牲にしても守りたい。そう思える主人公が羨ましかった。
他人はどこまでいっても、結局のところ他人でしかない。それを好きになるとはどんなことなのか、僕にはいまいち実感が湧かなかった。友人は僕のそんな考えを変わっていると言う。
「よっ、と」
そんな考えを振り払うように勢い良く起き上がり、机の上に置いた本を手に取る。だが表紙を見るだけで、結局読まずに、再び机の上に戻した。
これは明日返そう。全部読んでないけど誰も困らないだろう。
そう思って再びベッドに横になった…
…喧騒に紛れて祭囃子が聞こえる。空を仰ぐと、祭りに浮かれたように、真ん丸な月が輝いていた。
「すっごーい!きれいな満月!」
「うん。すごいね」
すぐ近くで興奮した幼い女の子と男の子の話し声がする。幼い僕と、幼なじみの声。
「でもね、お月さまってすっごく恥ずかしがり屋なんだって、お母さんが言ってた」
「そうなの?」
「うん。だから半分になったり隠れたりするし、同じ所しか見せてくれないんだって」
「ふーん…」
小さい頃の忘れていた記憶。
「ねえ、大きくなったら宇宙飛行士になって見に行こうよ!」
「でもお月さま嫌がると思うよ…」
小さい頃はずいぶん夢を見ていたな、と思わず苦笑する。そんなことは無関係に、二人の無邪気な夢物語は続いていく。
「そっかぁ…。じゃあ我慢するしかないのかなぁ?」
「うーん…あっ!わかった!」
「なになに?」
「あのね…」
子供の頃の僕達が、楽しそうに笑う。月はそんな僕らを静かに照らして…
…目覚まし時計が鳴っている。その音に意識が覚醒する。
寝呆け眼でベッドを抜け出して、学校の準備をする。その間に幼い頃の記憶は、日常の忙しさに埋もれてしまう。
「いってきます」
そうして玄関を出た時には、完璧に忘れてしまっていた。
学校の昼休み、僕は友達に本を返した後、友人数名で雑談をしていた。話題の中心は、クラスの誰が付き合ってるかとか、そんな感じだった。
僕がつまらなそうな顔をしないように努力していると、廊下を歩いている少女が視界に入った。
昔、一緒に月を見ていた少女だ。彼女もこちらに気付いて手を振る。
手を振り返すか迷ってたが、友人に気付かれたら茶化してきそうなのでやめた。
再び友人達に視線を戻すと、付き合っている誰かと誰かが大人になったとか言う話をしていた。
僕は周りにいる友人達が月に見えた。
満ち欠けして変化するものの、いつも同じ側しか見せない月。
「ボーっとして、なんか悩み事か?」
「何でもないよ。悩むような事があるほど毎日に変化ある?」
「はははっ、確かに無いな」
それは僕も同じ。本音は隠して、その場で適当に笑って流れていく毎日。
「おまえは好きな人とかいないん?」
「僕?うーん、別にいないなぁ…」
そうして今日も、片側だけの時間が過ぎていく…