恋の奴隷【番外編】―心の音E-2
「…ん……」
放課後、何だかそのまま家に帰る気分になれなくて、教室に残っていたのだけれど。席についたままぼんやりと物思いに耽っていたら、いつの間にか眠ってしまっていて。
「おはよ」
重い瞼をわずかに開いてみると、見慣れた笑顔が瞳に映る。
「あれ…ノロ…?」
「ナッチーずっと寝てて呼んでも起きないからさ。とりあえず起きるまで待ってみた」
そう言って、悪戯っ子のようにはにかんだ笑みを浮かべるノロ。私の前の席の椅子を後ろ向きにまたいで、背もたれに片肘をつき顎をのせている。丁寧にも私の肩には、ノロのブレザーがかけられていた。
「ナッチー?泣いてるのか…?」
「…え?」
ノロにそう尋ねられて初めて、自分が涙を流していることに気が付いた。ノロは細く長い指で、そっと私の頬に触れて。頬を伝う雫を指先ですくう。
「恐い夢でも見たか?」
私の頬を優しく撫でながらにこりと微笑むノロ。何だか霧がかかったように視界がかすむ。
「もう大丈夫だから」
触れられた指先から伝わる体温があたたかくて。
私に向けられた視線が苦しい程に優しくて。
ボロボロと涙が零れ落ちてゆく。
こんな恥ずかしい姿、見せたくないのに……。
一度溢れ出した涙はすぐには止んでくれなくて。
ひっそりと静けさを帯びた教室で、私は子供のようにわんわんと声を出して泣いてしまった。
「…聞かないの?何で泣いたのか」
何も言わず黙ったまま、私の歩幅に合わせてゆっくりと歩くノロに、私はどもりながらそう尋ねた。
「気にならない、って言ったら嘘になるけど。笑いたい時は笑えばいいし、泣きたい時は泣けばいい」
「…そんな風に素直になれない」
心を閉ざすことは簡単なことだけれど。強くありたいと願う程、心を開くことに臆病になって。自分をさらけ出すことは、弱みをみせることだから。笑ったり泣いたり、当たり前のことが当たり前じゃなくなってしまった―
「なれるよ。俺にそう教えてくれたのはナッチーなんだから」
「あの頃と今は違うわ。…私は変わっちゃった」
「ナッチーはナッチーだろ?時間は取り戻すことできなくても、今も昔もナッチーはナッチーだよ」
ノロはそう言うと、歩く足を止めて私の方を振り向いた。
「俺、ナッチーの前では素直になれたよ。ぶつかり合えた。だから、今度は俺がナッチーを受け止めてやるから」
吸い込まれてしまいそうなくらい澄んだ目をして。まるで私の陰った心を全て包み込むように、春の陽射しのような穏やかな笑みを浮かべる。