未来と過去と今と黒猫とぼく ー約束・後編ー-5
「駄目だ…やめてくれ…約束は破れない…最後の…優姉さんとの最後の約束なんだ…」
「嫌だよ…だって君は泣いてるから」
「泣いてなんかない…ぼくにはそんな感情は無い…分かりきってるんだ…だから優姉さんも…」
「嘘だよ、そんなの嘘だ」
「嘘じゃない…ぼくは泣けなかった…大切な人が死ぬ時にも、死んだ時にも涙は流れなかった…ぼくには分からないんだ…」
「嘘だよ…君は分かってるよ…」
「嘘じゃない…本当なんだ…悲しくないんだ…どうしてもぼくは悲しめなかった」
「…何か…何かあったの?」
伊隅さんはぼくを抱きしめたまま聞いた。
「何も無いよ…」
「じゃあ、何でそんな風に思うの?」
「そういう人もいるんだよ…本当にそれだけだ…理由になる過去も経験も…ぼくには無い…」
野菜を好む人もいれば、肉を好む人もいる。
動物を可愛がる人がいれば、殺したがる人もいる。
幼児とのセックスを好む人もいれば、同性愛者もいるし、超能力者だっている。
そんな中で、どんなに親しかった人も、家族さえも大切に思えない人がいたって、誰かの死を悲しめない人間がいたって、不思議じゃない。
それがぼくだった。
そして超能力者が優姉さんだった。
本当に、ただそれだけの事だった。
「それが悲しくて、自分を受け入れられない?」
ぼくは弱々しく首を振った。
「違うよ…ずっとそれが自分なんだと思ってた。自分を受け入れるか受け入れないかなんて、考えもしなかった」
そして優姉さんは、それを変えようと、ぼくに色々な事を教えた。
ぼくに花火の名前を教えて、顕微鏡で雪の結晶を見せて、ドン・キホーテの絵本を読んで、古いブルースを聴かせて、1ヶ月後に焼失する観光名所の寺へぼくを連れていった。
伊隅さんの言う通り、知ってほしかったんだろう、世の中にはこんな綺麗なものも、面白いものもあるんだ、と。
そしてそれでも変わらないぼくが、自分が死ぬ最後の最後の瞬間に、憎くなった。
私があんたの為に削った命はなんだったの?
私が死ぬのに、悲しくないの?
生きたくても生きられない私が死んで、なんであんたは生きたくなくても生きられるの?
だったらあんたに約束をあげる。
生きなさい、今のあなたのままで死ぬまで生きなさい。
そんな風に。
その約束を破るわけにはいかない。
優姉さんの憎しみを、ぼくはちゃんと受け止めなくてはならない。
だったらぼくはどうすべきか、考えればすぐに答えは出た。
今すぐ伊隅さんの体を無理やりにでも剥がし、暴言の一つや二つ浴びせて今後の関係を一切絶ち、一人で電車に乗り、家に帰って寝る。
しかしそれをするだけの意志の力が、今のぼくには無くなっていた。
「ねえ」
伊隅さんは自分の顔を、ぼくの顔の前に持ってきた。
吐き気をもよおすほど、伊隅さんの顔が愛しく思えた。
「私は君が好きだよ」
「そう…」
「私は君が好き、君は?君は私が好き?」
「分からないんだ、そんな感情が本当に自分にあるのかすらも」
「大丈夫、私は知ってる」
伊隅さんはそういって微笑んだ。
微笑み返す事も、喚く事も泣く事もできず、ぼくは途方にくれた。