「命の尊厳」中編-9
ー昼ー
昼食を終えた気怠い時刻。
そんな思いもぶち壊すように、リビングの電話がけたたましく鳴り響いた。
母親の京子は気忙しそうに受話器を取った。だが、聞こえて来たのは覚えの無い男の声だった。
「恐れ入りますが、森下由貴さんのお宅でしょうか?」
40は過ぎていると思われる男の声。それが自分や夫ではなく、娘に掛けてきた。
京子の中で不安がよぎる。
「由貴は私の娘ですが、どう言ったご用件でしょうか?」
「これは申し遅れました。私、〇〇県警刑事課の桜井と申します」
「…け、刑事さん…ですか?」
刑事と聞いた京子は、すっかり動揺してしまった。
反対に桜井は、穏やかな口調で語り掛ける。
「実は、昨日、由貴さんが〇〇総合病院に行かれて、そこの医師におっしゃった事を教えて頂けないかと思い、電話を差し上げた次第でして。よろしければ明日にもご自宅に伺いますが?」
京子は考えた。由貴はその時間の記憶が無いと言っている。
だが、桜井を通して、全てでは無いにしろ娘の空白の時間が分かるかもしれないと。
だか、それも由貴次第だ。
京子は桜井に言った。
「私は構いませんが、娘の事ですから。まず、娘の説得をしないと」
「同感です。では……夕方6時に再度連絡致しましょう」
京子は丁寧に挨拶すると、受話器を元に戻した。
ほんの数分、言葉を交しただけだが、桜井の事を信頼しうる人物だと京子は思った。
それは桜井も同様だった。任意とはいえ刑事が自宅に来る事を、普通なら敬遠するところだ。
それを京子はあっさりと了解してくれた。
桜井の顔に久しぶりの笑顔が戻っていた。
「由貴…」
京子は由貴の部屋を訪れた。
彼女はベッドにうつ伏せになり、雑誌に目を通していた。
「何?お母さん」
由貴は半身だけを起こして母親に顔を向けた。
「…今、〇〇県警の刑事さんから連絡があって、あなたが昨日、病院で言った事を教えて欲しいって言ってるのよ」
由貴の顔が驚きに変わる。
「病院で言った事って…私、何も覚えてないし……」
困惑した様子の由貴。京子は諭すように彼女に言った。
「だから、逆に刑事さんに教えてもらうのよ」
その時、由貴の頭の中でフラッシュバックする。諒子と交した約束。夢で見た運転手の顔が。
「分かったわ」
由貴は力強く京子に言った。
「その刑事さんに会うわ。私…」
その後、桜井からの連絡があり、由貴は直接、彼と話をして明朝に会う事を約束した。