「命の尊厳」中編-6
「先生。あの時の…野上諒子です」
いまや、由貴の身体は、諒子が支配していた。
「出ていきなさい!!ふ、ふざけるのもいい加減にしろ!」
松浦は声を荒げる。目の前に現れた女性が、野上諒子とはかけ離れていたからだ。
しかし、諒子は微笑みを湛えて松浦に語り掛ける。
「私はどしゃ降りの夜中に事故に遭い、ここに運ばれました。
それから5日後にドナーとなり、この由貴という娘の身体に宿りました。心臓移植によって……」
「…そんな、バカな!」
松浦は愕然とした表情で由貴を見据えた。今、彼女が語った事は、院内の一部やレシピエントの関係者、そして臓器移〇倫理委員会のメンバーなど、限られた人間しか知り得ぬ情報だったからだ。
困惑する松浦に対し、諒子は胸に手を当てて答えた。
「先生。私はここで生きています。これからも、ずっと……」
ー夕方ー
〇〇県警〇〇署
刑事局捜査1課。中央にデスクが並んだ20畳ほどの部屋には、ブラインドの隙間から朱色の陽光が差し込んでいた。
その片隅にある衝立てで囲まれた一組のソファに、桜井と高橋は座っていた。
憔悴した表情を見せる2人。
捜査は完全に手詰まりの状況に陥っていた。
県下の自動車修理工場はもとより、現場周辺の聞き込み調査も空振りに終わってしまったからだ。
今後の方針をどうするかを話合わねばという思いは有るのだが、2人共、とてもそんな気になれなかった。
「県外となると、署長に許可を頂いて協力要請をしますかねぇ」
若い高橋は嘆くように呟く。
桜井は反応をみせずに考えていた。
何かを見落としていると。
(…あんな住宅街の道を夜中に使う奴だ。あの周辺に住んでるのは間違いないはずだ……しかし、何か大事な事を見落としている。何かを……)
その時だ。数台ある電話のひとつが呼び出し音を響かせた。
近くに居た者が受話器を取ると、すぐに桜井を呼んだ。
「桜井さん。〇〇総合病院の松浦って人から」
桜井と高橋の顔色が変わった。
2人は勢いよく立ち上がると、大股で電話口に近寄った。
「お待たせしました。桜井ですが」
松浦の声は、どこか動揺していた。