「命の尊厳」中編-13
ー翌日ー
桜井は朝から署長室に呼び出されていた。
理由は野上諒子轢き逃げ事件に対して、〇〇県警管区内での越境捜査を行う事に関するモノだった。
白髪混じりの髪を短く刈込み、銀縁のメガネを掛けた署長の高柳は、前日に提出された申請書に目を通すと桜井に訊いた。
「…この森下由貴が目撃者なのかね?」
「いえ。森下由貴は被害者である野上諒子から心臓を貰った女性です」
申請書に目を落としていた高柳は思わず顔を上げた。
その顔は呆気に取られたように。
「その森下由貴に何故、捜査協力を依頼するのかね?」
「それは……」
桜井は、由貴が起こした〇〇総合病院での出来事や、夢で見たという細部に至る事故の状況と、容疑者の顔を覚えてる点などを、包み隠さず高柳に報告した。
高柳は報告を聞き終わるとメガネを外し、深い息を吐いて堅い表情で押し黙ってしまった。
桜井は高柳へと1歩踏み出てから、険しい表情で言い放った。
「署長。この3ヶ月、まったくの徒労に終わっていたのが、ようやく解決の糸口が掴めるかもしれないんです。だからこそ彼女を……」
腹の中にあった思いを一気に吐き出した。何としても事件を解決し、被害者の無念を晴らしてやりたいという熱い思いからだった。
「桜井君…」
桜井とは対象的に、高柳は静かに語り掛ける。
「私は何も申請を受け付けないとは言ってないよ」
「署長!じゃあ…」
高柳の言葉に桜井は顔を綻ろばせる。
「許可はする。但し、事実を言っては話がややこしくなる。彼女は目撃者だという事にしておくように」
そこまで話すと、高柳はひと息ついてから言葉を続ける。
「桜井君。越境捜査をするんだ。分かってるな?」
桜井の顔に厳しさが映る。
「はい。必ず容疑者を挙げてみせます」
桜井は深々と頭を下げた。
すると、高柳はオフィシャルな表情を一転させた。
「中間報告は要らんからな。早く良い結果を被害者の墓前に伝えてやってくれ……」
その表情は柔和だった。