「命の尊厳」中編-10
その日の夜。由貴は諒子に伝えたいと、夢の中で会う事を望んで眠った。だが、彼女はおろか、回廊をも現れ無かった。
(…なんで…出てきてくれないの……?)
朝のまどろみの中、目覚めた由貴の心に不安が広がっていった。
朝食を終えた時刻に桜井は現れた。出迎えた京子は、その姿にたじろぐ。
職業柄というのも有るのだろが、電話での口調と、そのいでたちにギャップがあり過ぎたのだ。
桜井は深々と頭を下げる。
「早くから申し訳ございません。昨夜、連絡差し上げた桜井です」
その口調は昨日同様に、穏やかで丁寧だった。
京子が桜井をリビングのソファに案内していると、ちょうどそこに、由貴が現れた。
「初めまして。〇〇県警の桜井です。あなたが由貴さんですか?」
桜井は立ち上がって挨拶すると、睨め付けるように由貴を見た。
華奢な体躯をした、何処にでもいそうな女の子にしか見えない。
(…この娘が野上諒子の事を……)
にわかには信じられない思いだった。
挨拶を終え、奥の席に桜井、対面に由貴と京子が座って話が始まった。
桜井が切り出す。
「電話でも申しあげましたが、
昨日の昼にあなたが〇〇総合病院の5階で、医師の松浦氏に言われた事をお聞きしたいんです」
単刀直入な桜井の言葉。対して由貴は困った表情で答えた。
「…実は…何も分からないんです。病院に行った事は覚えてるんですけど、そこから先は……」
「では、あなたは野上諒子さんを名乗り、轢き逃げした容疑者の顔を知ってるって事もですか?」
桜井の口は、穏やかな口調を忘れて一気にまくし立てた。
「私に心臓をくれた人って…野上諒子さんって方なんですか!?」
桜井が舌打ちした。感情に任せて守秘義務を忘れてしまった。
すると由貴は、真っ直ぐに桜井からの見据えて答える。
「…その、野上諒子さんを轢いた男の人の顔は覚えています」
そう言って、心臓を移植した後の様々な体験を、細部に渡り桜井に話して聞かせた。
最初は夢での出来事と、大した興味も無く聞いていた桜井も、事故に至る話になる頃には手帳を広げ、由貴の言葉を書き綴っていた。
「私の知っているのは以上です」
話を終えた由貴は、深く息を吐くと俯いてしまった。桜井は顔を赤らめ、手帳に書いた内容をチェックすると興奮した口調で語った。