無色-2
「ここはいい場所ですね」
急にふみが話し掛ける。
「そうでもありません。貴女は見えない分、ここにある汚れた部分は見なくて済むんだ」
つい苦々しげに言ってしまう。
彼女のように見えるもの全てをシャットダウンできたらどんなにいいだろう。
「私はこの世界を憎んでいます。貴女のように目が見えなければどんなにいいかと何度も思いました。貴女の仰る通り、ここは確かにいい場所でした。しかし今は汚れてしまった。私の居場所は次々に無くなってゆく」
ふみはしばらく考え込む仕草をして、微笑んで言った。
「だったら作りましょうよ。貴方だけの世界を。私もお手伝いしますよ」
「私だけの…。世界…」
「そうです。きっとありますよ、貴方の望む世界が」
「じゃあ…、一緒に来てくれますか?私だけの世界に」
「えぇ、もちろん」
それを聞いて秋康は微笑んだ。それは彼の人生の中で1番のものだったがそれをふみが見ることはなかった。
一緒に堕ちよう。
2人だけの、透明の世界へと──
「……ちゃん、お祖母ちゃん」
「母さん、起きろよ母さん」
「……ん」
目を覚ました老婆は辺りを見渡す。と言っても老婆の目は見えないのだが。
ピッピッピッ…
電子音が規則的に鳴る部屋の中。微かにある腕の痛みと薬品の匂い。
「ここは病院…?」
「そうだよ母さん、覚えてないのか?母さん突然倒れたんだ」
「3日間意識が無かったんですよ」
息子とその嫁が涙声で言う。孫は目覚めてからずっと自分の手を握っていた。
「私…夢を見てたのかしら」
さっきまでいた世界では自分の体は軽くて、たくさんの場所を歩き回っていた。しかし、最後に会った男性以外の人の音は聞こえなかった。
全てが無音の世界。空白の世界。
そんな世界をまるで本当にあったかのように懐かしむ自分がいた。
「秋康さん…。約束は果たせませんでしたね…」
小さく笑いながら、ふみは誰にも聞こえないような声で呟いた。