しあわせ-1
[しあわせ]の「幸」で『サチ』と読むのが私の名前だ。
しかし実際、私が[幸せ]かというとそうでもない気がする。
というか、今この瞬間、私は幸せではない。
なぜなら、駅のホームで滑って派手に転んだために腕の骨を折って病院にいるのだから。
「─という訳で、今日は学校休みまーす」
『…お前「それ以上何も言わなくていいから。どうせ『馬鹿だろ』とか『阿呆だろ』とか言うつもりだったんでしょ」
『よく分かったな』
「分かるさ。何年の付き合いだと思ってんの。あっ、ちょっと待って。今お母さんと代わるから」
公衆電話の受話器を母に渡す。
「ショウ君ごめんね。この子ったら口悪いんだから」
『ショウ』と読んで「尚」と書くのが受話器の向こうにいる副担の名前だ。
しかし、私の家には「尚子」という名前の姉がいるため、私は小さい頃読み間違えてからずっと彼のことを『ナオ』と呼んでいる。本人も気にしないようなので、今もそう呼んでいるが。
母は未だにナオと話している。母の言動から大方私の話でもしているのだろう。
ナオは去年からうちの学校に赴任してきて、あろうことか私のクラスの副担任を受け持っている。
小さい頃は家が近所なためよく一緒に遊んだが、まさか彼が教師になるとは夢にも思っていなかった。
ガチャッ
母が受話器を置いた。ようやく電話が終わったようだ。
ナオも忙しいんだから、とっとと切っちゃえば良かったのに。
そう思いながら母を見る。しかし母の様子がおかしいことに気付いた。何故か妙に上機嫌だ。
「どうしたの?」
「あのね、お母さんこれから仕事だから家には幸1人になっちゃうじゃない?お昼ご飯は朝の残りを食べればいいとしても、夜はお母さん用事で遅くなるのよ。そしたらね、尚君が夜はうちに来てくれるって。良かったわね」
……はい?
──19時10分。
ピンポーン
「おーい、サチ、ここ開けてくれ」
やたら間延びした低い声。ナオが来たようだ。
「はいはい、今開けますよっと」
玄関に裸足で出てドアを開ける。すると大きなビニール袋と真っ黒な鞄を持ったナオが入ってきた。