「命の尊厳」前編-6
「それから、術後は免疫抑制剤を一生、服用する必要があります。
これは異なる細胞同士を速やかに結合させるためと、身体が心臓を異物と判断して拒絶反応を起こすのを抑えるためです」
「あの…その薬の副作用は?」
由貴は不安を露にして訊いた。
加賀谷は小さく頷き、〈薬によって異なるが〉と前置きしてから答えた。
「免疫を抑えるために感染症に掛り易くなる。それに、高血圧や骨密度の低下など…だから、それら副作用を抑えるための薬も必要になるんだ」
加賀谷は、ひとつを残して全てを話した。そして〈最後に〉と付け加えて、
「移植をしても、長くは生きられないんです」
「ちょっ…それ、どういう意味です?」
京子は驚きの表情で語気を荒げた。加賀谷は辛い顔を浮かべて語った。
「移植後の生存率です。5年後が8割、10年後が5割、そして、25年以上生存した例はゼロなんです」
「そんな…」
「移植手術自体、実用されてから日が浅いんです。ですから今後、新しい免疫抑制剤や手術法が開発されてます。将来、生存率は飛躍的に伸びるでしょう……」
加賀谷は全てを話した。後は由貴達が決断する事だ。
「納得いただけましたら、手術の承諾書にサインを頂けますか?後で看護師を向かわせますから」
その時、由貴が訊いた。
「せ、先生が手術してくれるの?」
その瞳は愁いを帯ていた。
入院して2年間。献身的に接してくれる加賀谷に、彼女は好意を抱いていた。
それを知ってか知らずか、加賀谷は笑みを由貴に向ける。
「僕はアシスタントで入る予定だ。執刀医は楢原教授といって、心臓移植の世界的権威者だよ。これまで40例以上の移植手術を行っている人だ。だから安心して任せて大丈夫だよ」
そう言うと相談室を後にした。
この時、残された由貴の気持ちは決まった。
加賀谷の元に由貴からの承諾書が届いたのは、それから1時間後の事だった。
ー夜中ー
午前3時。
手術室の扉が開き、ベッドに寝かされた由貴が出て来た。
「由貴!」
ベンチに座っていた母親の京子と駆けつけた父親の邦夫は、立ち上がってベッドに近寄ろうとする。
しかし、看護師達に遮られて傍に寄る事も出来ず、由貴は集中治療室へと運ばれた。