「命の尊厳」前編-5
そんな日の午後。
由貴の担当医である加賀谷龍治が病室に駆け込んで来た。
まだ30そこそこだろうか。整った顔立ちに実直な瞳は、医学を邁進しようとするエネルギーに満ち溢れていた。
加賀谷は顔を紅潮させ、興奮気味に言った。
「…も、森下さん。ど、ドナーが、ドナーが見つかりました」
「エエッ!」
由貴と母親の京子は共に驚きの声を発した。加賀谷が補足するように続ける。
「…実は…先程連絡を受けて、脳死患者との適合性や移植の優先度から由貴ちゃんに決まったんです!」
「…ああ…由貴……」
京子は娘の手を取り、歓喜の涙を流した。笑顔で京子を見つめる由貴。その瞳は濡れていた。
「…先生…ありがとうございます……」
親子は加賀谷に頭を下げた。
彼自身、2人の喜びように目頭を熱くしていた。
「…とにかく、良かったですね」
加賀谷は、ひとつ咳払いをして気持ちを鎮ませると、
「それで、移植についてのご相談をすぐにでも行いたいのですが?」
「分かりました」
そう言って京子だけが立ち上がろうとするのを、加賀谷は止めた。
「森下さん。これは娘さんの受ける手術です。彼女にも聞いて貰いたいんです」
「…でも……」
京子の顔が曇る。
その時、由貴が話に割って入った。
「お母さん。私なら大丈夫よ。それに、先生が言うように私の事だから」
3人は相談室へと向かった。
テーブルを挟んで、加賀谷と京子は席に座り、由貴は車椅子で母親のとなりに着いた。
「…まず、移植手術の日程ですが、予定では明日の午後3時過ぎです」
「そんな…急に…」
京子の言葉に加賀谷は頷いて、
「ご存知と思いますが、提供者は脳死患者です。これは迅速に移植を行う必要があります。
由貴ちゃんへの臓器提供者は明日、脳死判定を行います。この結果は昼前に出て、脳死と判定されれば直ちに臓器摘出を行い、ヘリを飛ばしてウチの病院に運ばれます。その予定時刻が午後3時頃だろうと……」
加賀谷の説明に、京子は気持ちの整理がつかないのか俯いてしまった。だが、由貴は姿勢を正し、しっかりと加賀谷を見据えている。
説明は続く。
「次に手術方法ですが、胸部を開いた後、人工心肺に切り替えてからレシピエントとドナーの心臓を入れ換えます。それから、人工心肺を切り離して心臓の動きを確認します。
手術時間はスムーズにいけば10時間ぐらいと思われます」
「スムーズにいかない場合って?」
「1番危険なのは、移植した後に人工心肺を切り離す時なんです。心臓が働かない場合もありますから」
加賀谷は手術の危険性にまでも丁寧に説明していく。