「命の尊厳」前編-19
ー翌々日ー
「…先生。私に心臓くれた人ってどんな人なんです?」
検診を終えた由貴は開口一番、加賀谷に訊いた。
訊かれた加賀谷は戸惑いを隠せなかった。
「残念だけどレシピエントにドナーの事は教えられないんだ。それに僕自身、知らされていないから」
「じゃあ、何処から心臓が運ばれたんです?それなら分かるでしょう」
なおも食い下がる由貴。その気概は加賀谷が知っている彼女では無かった。
何より雰囲気が違う。
服装もそうだが、入院中の彼女は明るい女の子だった。だが、目の前に座る由貴は、険しい表情で加賀谷を見据えている。
「何故そんな事を訊くんだ?」
由貴が黙っていると、横から京子が割って入った。
「…実は退院して、ひと月経った頃から味覚や服装が変わってきたんです」
加賀谷は素早くカルテを開く。
「具体的にお教え願えますか?」
京子は味付けの変化や服の好みが変わった事を、細かいディテールに渡って加賀谷に語った。
その間、由貴は黙ってやりとりを聞いていたが、
「…それだけじゃないの!」
感情を吐き出すように由貴は言った。
「それだけじゃないんです」
すがるような目で加賀谷を見つめる由貴。
唇は小刻みに震えている。
由貴は夢で見た出来事を話した。
漆黒の回廊、頂上の扉、そのむこうの風景、謎の女性、閃光。夢から覚めた時、部屋の外で倒れてる事。
そして、心臓の鼓動が身体の生理と無関係に速くなる事も。
加賀谷は由貴の一言々を逃すまいとカルテに書き写していく。
母親の京子も初めて聞いた娘の言葉に耳を疑った。
すべてを吐き出した由貴は、胸に手を当てた。
「…味覚も、服も、夢も…すべてコレから始まったと思うんです。だから、教えて欲しいんです」
加賀谷は天を仰いだ。彼自身、日本循環〇学会の心臓移植後の追跡レポートを読んではいるが、由貴のような事例は初めてだった。
(…そんな事はあり得ない。何より自分は科学者だ。あるはず無い…だが……)
加賀谷は悩む。由貴の言葉を拒もうとすればするほど、それはインクの染みのように頭の中で広がっていった。
その後の言葉を彼は後悔する事になる。