赤提灯-1
蛍光灯の白い光が広がる部屋で、私は必死にノートに向かってシャーペンを走らせていた。ノートに次々と英文が表れる。
忙しく包丁を鳴らしていた母が、ふと時計を見て私に言う。
「お父さん遅いわね。ねえ、ちょっと迎えに行ってちょうだい」
「えー、私宿題終わってないのよー?」
「肉じゃがちょっと増やしてあげるから。きっといつものおでん屋さんよ」
私が嫌そうな顔をして渋ると、いつも母はこう言った。私は食欲をそそるおかずの匂いに負けて、つい家を出るのだ。
駅前の屋台の暖簾をくぐると、当たり前のように父がいた。
「お父さんいつまで居る気?」
「おっと、もうそんなに経ったか」
ははは、と苦笑いを交わして父は屋台のおじさんにお金を払い、私の手を握った。
おじさんは無口な人だったけど、私が来ると笑って父の肩を軽く叩いていた。
「…夢か」
夢なんて見たのはいつが最後だっただろう。大分昔のような気がする。
「よく寝たなあ…え?寝た?」
はっとして恐る恐る机を見ると、案の定数十枚の書類が山を成している。
「あーっ!」
そう、その山はやり残した私の仕事。勤務時間はとっくに終了している。やってしまった。
泣きたくなったが、眠ってしまったものは仕方がないし、泣いても時間はかえってこない。むしろ無駄な時間だ。
「とほほ、今夜は寝れないなあ」
一人つぶやきながらとぼとぼと歩いていると、私の視界に赤い光が灯った。
「赤提灯だ。おでんかな」
瞬間、さっきの夢が頭に蘇った。
なぜか足が動いて、ふらふら誘われるように暖簾をくぐった。
「いらっしゃい」
私を笑って迎えてくれたのは、四十歳くらいの暖かそうなおじさんだった。
しまった、やらないといけない仕事が残っているのに。そう思いながらそこから動けない。
「何にします?」
もういいや、どうせ寝れないんだから力つけないと。
「えーと、とりあえず全種類一つずつ」
「はい」
屋台の中のオレンジ色の蛍光灯がおでんを優しく照らした。思わず唾を飲みそうになる。すごく美味しそう。
「どうぞ」
「ありがとう。美味しそう」
「見た目だけじゃないですよ」
私の前に山盛りのおでんが置かれた。箸でわると、溢れるように湯気が出て来る。
大根を一切れ口に入れると、勝手に大根がほぐれて何とも言えない甘味が広がった。