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痛がり
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痛がり-1

 人の欠点に気づくたびにハッとする。俺には人を見る目があるのだ。だから人の会話を聞いたり仕草を見ていたりするとそいつらが無様に思えてしょうがない。あ〜あかわいそうに、あれじゃあいつは嫌われ者だろうな、なんて……どこにでもそう思われるやつはいるもので、そういう人間を俺はいち早く見つけ出すことができる。
「お疲れ、安藤君。」
 そして今俺の目の前にいるこいつ、本田もその一人だ。
「おう、本田。お疲れ。」
昼休み、午前の講義が終わると本田が話しかけてきた。
「夏の模擬テスト返って来たよね? 結果はどうだった?」
 俺は呆れかえってものが言えなかった。……全く、こういう人間はもっと人の気持ちを考えて欲しいものだな。俺はこいつみたいに自分からテストの話はしない。それを気にするやつだっているのだ。ましてや俺たちは予備校に通う浪人生だ。テストの話が好きなやつなんかいるはずがない。しかしこいつは人のことも考えずに何でもかんでも聞いてくる。本当に痛いやつだ。
「安藤君さ、志望校国立だよね? 判定は? 国語嫌いは克服できた?」
「……まあな。努力はしたからな。」
 俺はテスト結果をもとに作成された成績の個人カルテを堂々と見せた。そこには200点満点の国語で100点弱しか点の取れていない俺の成績が載っていた。
「うん……努力の結果が出たんだ、まあ、その、よかったね。」
 ちぇっ! こいつは俺よりデキのいい科目のことしか口にしない。まあこんなやつは結局自分の自慢しか興味がないんだな。俺はどんなときも自分の欠点を隠したりはしない。だからどの科目の点数も包み隠さずありのままに見せてやる。ところがこいつは自分と比べてしか物を見ようとしない。俺と会話を交わしながらも、俺と比べた自分にしか興味がないのだろう。だったら比べさせてやるよ、まずはくだらない模擬テストとやらの点数をな。
 俺は本田の本心にあきれて鞄の中から本を取り出した。ドストエフスキーの名著『罪と罰』だ。
「あ、何の本読んでんの?」
「ん〜……別に。」
「難しそうな本だね、国語対策?」
フッと鼻で笑って答えた。
「お前さあ、点数以外に大切なものってないわけ?」
 本田はシュンとうつむいてしまい、やがて自分のカルテを見つめ始めた。
「さてと……」
 しばらく本を読んで時間をつぶすと、俺はおもむろに鞄を掴んで立ち上がった。
「安藤君、どこ行くの?」
「帰る。」
「え! だってまだ5限目の講義が残ってるよ。」
「バイトがあるんだよ。社会との接点もなしに生きられるほど能天気じゃないんでね。」
「社会との接点って、アルバイトのこと?」
 ぽかんとしている本田を尻目に俺は講義室を後にした。

 ――本田は俺の親友とはよべない。俺だっていつも本田と会話をしているわけではない。他のやつと話すこともある。しかし結局はみんな同じだ。みんな自分の自慢ばかり、自己中心的にしか物事を考えられないやつらばかりだ。
俺はいつも孤独だった。まあ当たり前だろう。これから社会に出なければならないというのにアルバイトも経験せず、ドストエフスキーにも関心を示さない。そして大切な大切な時間を犠牲にして受験のために点数を稼ぐことばかり考えている、そんな連中とどうやって仲良くできるというのか。
そんな風にして季節は過ぎ、いつしか受験の時期がやってきていた。
「安藤君、今年はどこ受けるの?」
「ん〜去年と一緒だよ。」
「え! じゃあまた国立一本? その、す、すごいね。」
「すごいって、お前も受けるんだろ? 俺と同じところ。」
「うん、でも滑り止めも受けるし……」
まったく、国が認めた大学以外になんの魅力があるのだろう。俺には私立を受ける連中の気持ちがわからなかった。
 
 ――春、とうとう合格発表の日がやってきた。俺の志望校では掲示板に合格者の受験番号が続々と張り出されていた。しかしその中には俺の番号はなかった。当然だ。去年は社会についていろいろと学んでいて忙しかったのだから。
「よっしゃあああああ!!!」
 近くで突然大声が聞こえた。振り向くとそこには某国立大学のラグビー部に胴上げされている本田がいた。そしてその人ごみの中には彼と手を取り合って喜ぶ女の姿があった。
……多くの声が飛び交う中、俺には本田の声だけがはっきりと聞き取れた。

 俺は本田に声をかけず、その場を去った。鞄を背中に担ぐと、中で大きな木の絵が書いてあるブックカバーのしてある『罪と罰』がごそっと揺れた。


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