辛殻破片『我が甘辛の讃歌』-5
「…な、なに言ってるの? わからないよ、ショウちゃん…」
「僕の名前を気安く呼ぶな」
「…え……?」
食器を置き、何を思ったのか、『そいつ』は手を伸ばしてきた。
「ね……ねぇ、わ、私っ…何か悪いこと…」
その手は震えながら僕の顔元まで近付いてくる。 だが、お構いなしに、
「触るな!」
目の前を払うようにして、そいつの手を弾いた。
「聞いているんだよ、お前は誰なんだって。 そして凪をどこに…どこに追い込んだ!」
「ひっ! ………怖いよ…やめてよ……」
僕から離れ、ひたすら「やめて」と懇願し、「ショウちゃん」と繰り返し、
更に「ごめんなさい」と。 只でさえ一つの単語でイライラするのに、二つも追加でくるとは思わなかった。
「ああもう……うるさいんだよ! くそ…!」
頭を掻き毟る、頭皮が破けて血が出てきそうなくらいに。 頭がおかしくなりそうだ。
…既に僕はおかしくなっているらしい。
どうしてだろう? 僕自身がこんなに壊れて、いつからどうしてこうなった?
たまらなく『凪』が愛おしい。 たまらなく『凪』に縋りたい。
そう思った僕の脳は、短いドラマを幕開けた。
●
今度は将太さんの気持ちが爆発してしまった。
だから避難、と呼べる行為かもしれない。 今の時点では。
わたしと凪さんはお風呂場に来ていた。
「ご…めんなさい…ごめんなさいごめんなさい……許して……許してぇ………」
「凪さん、大丈夫。 今この場にはあなたとわたししかいませんから大丈夫、深呼吸を…」
「…はあ……ふうう…ぐっ………は…」
途中、呼吸が乱れ、大きい咳を吐き出した。
背中を擦ったが、咳は一向に止む気配を見せない。 と思いきや急に止まり、唇を震わせて胸を押さえ…、
「く………ふあっ…ああ……」
再び呼吸をくり返し…いや、
「な…凪さ……」
倒れてしまった。
嫌な言葉が頭の中で暴れ回る。
『パニック障害』
わたしが知る『痙攣』の度を超えた。
潮の引いた海、岩の陰で無惨に跳ねる魚。 正にその通り、魚のように身体を捩らせ捻らせ苦しみ悶え、彼女は" 跳ねている "。
この人間の耐え難い有様を直視できる人は、一体どれくらいいるのだろうか。
悲しすぎる、あまりにも酷い。 見ているだけで心が傷つき、大切な何かが失われていく。
けれども、正真正銘の『傷』が付いている人はわたしじゃない。 今だって、どんどん傷の上に傷を重ねられ、抵抗出来ずに蝕まれている人が、わたしの目の前に。