多分、救いのない話。-5--1
私の総てである貴女。
模範であり規律であり崇拝であり偶像である、貴女。
絶対の存在である貴女が、私を愛してくれている。
これほどの幸福を、私は他に知らない。
だけど、だからこそ、私は貴女が怖いのです。
貴女の言葉が、振舞いが、行動が、思考が、感情が、私をどうしようもなく掻き乱すから。
貴女がいなければ、私は存在出来ないから。
だけど、貴女は私がいなくても、生きていけるのです。
だから、私は――貴女が何をしようとも、ただ見ていることしか出来ないのです。
「はにゃへにゃふにゃあ!!」
始業開始前から奇声が飛ぶが、慈愛のクラスでそれを気にするものはいない。それが日常の風景だからだ。
何故慈愛が悲鳴を上げることになったかと言うと、席に座った途端に蛙の玩具が飛び出してきたからである。びよーんと。
「うう」
「大丈夫?」
クラスメイトが声をかけてくるが、顔は明らかに笑いを噛み殺している。慈愛はクラスメイトの襟元を掴み、
「さあ吐いて今すぐ吐いてください! そうすれば『メグの処刑その四』は免れますですよ!」
「め、ぐ、あ、マジでちょっとタンマ、本気で私じゃないから……」
ゴホゴホと本当に首が絞まっていたようで一応は緩めるが、しかし蛙の恐怖に頭を支配されている慈愛は容赦しない。
「十秒以内に吐けば全部水に流すのです。十、九、略してゼロに今なりましたぁ!!」
「カウント略すなあ!! ぎゃあ、やめて、くすぐらないでひゃははははは」
蛙の恐怖から理性を取り戻した頃には、すでにクラスメイトが一人くすぐり地獄に落ちていた。
「ふにゅう。誰なのですか、いつもいつもメグの机に悪戯仕掛けるのは」
「いつもいつも引っかかるのもどうかと思うけど」
「うう、知っているのでしょー? 教えてよぉ」
「いや、一応約束してるからさ。教えられないの、悪いけど」
悪いと微塵も思っていないクラスメイトのニヤニヤ顔に、ぷくぅと頬を膨らませる。しかしすぐにしぼみ、はあ、と溜息を吐きながら蛙の玩具を器用に避けて席に着いた。いつもならもう少しクラスメイトと会話をするが、今日はなんだか気が重かった。その様子を妙に思ったのか、少し心配げな顔になったクラスメイトは、
「今日は本気で怒ってる?」
真面目な顔で訊いてきた。笑って否定する。
「ふにゅう、いつものことだし。今日はちょっと疲れてるだけー」
そっか、とクラスメイトはポンポンと慈愛の頭を軽く叩いて、席に戻る。
同世代の友人と呼べる人間に、相談しようとは思わなかった。何故か、友人に相談するという発想が、慈愛の中には浮かばない。信用の問題ではなく、慈愛はあらゆる意味で誰かに頼るということが出来ない状況が長年に渡って続いているため、その選択肢がもう頭に思い浮かばなくなっていた。それは間違いなく慈愛を蝕む“歪み”だったが、“痛み”を理不尽に感じないのと同じくらいに慈愛にとっては当たり前で、故に自分では気付けない。