多分、救いのない話。-5--6
「慈愛、ご飯は食べた?」
「食べたよー。カップラーメンは美味しかったー」
「もう、ちゃんとお料理したものを食べないと。また今度お料理を教えてあげるわね」
あちゃあ、と心の中だけで溜息を吐く。『お料理』は『お勉強』に比べて、酷い怪我をする時が多い。火傷のあのちりちりする痛みは、慈愛にとってもっとも我慢しにくい痛みだ。けれどもそれはあくまで今度の話。今は楽しい、談笑の時間だ。忘れよう。
「今日どこかに行ってたの?」
「んー? あのねー、秘密基地に行ってたの」
秘密基地と言っても、昔からある神栖家の土地に建てた、見た目はただのプレハブ小屋のことである。けれど慈愛がお小遣い(+デイトレードからの収入)から色々手を加えていて、中身は自宅の慈愛の私室より贅沢になっている。だけどそれは、母ですら知らない、慈愛だけの秘密が詰まった場所。それが『秘密基地』。
「秘密基地ねぇ。お母さんも行きたいなぁ」
「ぶーぶー。駄ぁ目ぇでぇすぅ。お母さんが来たら『秘密』じゃなくなっちゃう」
「慈愛に秘密ねぇ。何をお母さんに内緒にしてるの?」
「ひーみーつー」
正直心臓がバクバクしている。慈愛が知らない間にお母さんが来たらどうしよう。あんなことやこんなことや。例えば、日記とか。
「慈愛の日記か。読んでみたいわね」
「ぜったい、ダメー! ……ああ、お母さん! もしかしてメグの心を読みました!? お母さん、超能力者です!! すごいです、あんびりーばぼーです!!」
「大丈夫大丈夫。お母さん超能力者だから、日記を読まなくても慈愛のことは理解るの。だから読まないわ」
「すごいなぁ。お母さん、霊感も超能力も持ってるんだねー」
「うん。でも使う必要は無いから、今も使ってないわよ?」
「ありゃ、じゃあトリック? お母さん、そのトリック教えてよー」
あはは、と親子の笑い声が夜のリビングに響く。けれどもうすぐ日付が変わろうとしている時間で、楽しくてもこの時間は終わる。
「お母さんはまだお仕事あるの?」
「んー、ちょっと残ってるわ」
家に仕事を持ち帰ることは珍しくないけど、今日は量が多いみたいだ。書類の量が、A4用紙の大きさで……多分ざっと見て、厚さ三十センチ強×二束。
「……これ全部ー?」
「うん、まあ明日以降に回してもいいんだけど。早めに片付けたくて」
「どうしてパソコンで整理しないのー?」
「勿論してるけど。やっぱりバックアップ取っててもデータは消える時はあるし、手書きでのサインじゃないと複製の可能性もあるし。紙の書類がなくなることは多分ないわね」
「んー、でもこんなにいっぱい」
「まあ、いつものことよ。大したことはないわ」
母が言うと本当に大したことがないように思えてくるが、この量はやはり大変だと思う。
「何かお手伝いできることない?」
言ってはみたが、母は困ったような微笑を浮かべるだけだった。
「嬉しいけど……。慈愛に出来そうなことはないし、それにこの中には家族にも話しちゃいけないような事が書かれているから」
ごめんね、という母の言葉が胸に痛い。気を使ったつもりで逆に気を使われてしまった。少し哀しい。
だけど。今日は“怖いお母さん”じゃなかったから、――それは凄く嬉しい。 ずっと優しいお母さんでいてくれればいいのにな、と。願ってみた。
今はまだ、願うだけだけど。