DEEP DIVER玲那〜闇に沈みし者〜-8
「ふう、今日はなんだか気分が乗らないわね…」
いつもなら心地よいと思える静けさなのだが、今日はどうした訳か不安を感じ、わざわざ声に出して独り言を言う。
すると、準備室の隣にあるLL教室から何かガタガタと物音が聞こえ、佐和子は飛び上がった。
「やだ、用務員さんかしら…」
校舎に誰もいなくなると用務員が教室の施錠を確認し、各階を巡回して明かりを消して廻る。しかし、巡回の時間は七時で、いつもの用務員なら佐和子が残っていることを知っているので真っ先に声を掛けてくれる筈である。
学校荒らしかも知れないと佐和子は考えたが、LL教室の鍵は佐和子が準備室に入る前に施錠した筈だった。それに、パソコンなどが置いてある情報処理室ならともかく、LL教室には特に値打ちのある物は置いてはいない。一瞬、内線電話の受話器に手を伸ばし掛けた佐和子であったが、物音がしたくらいで騒ぎを大きくするのも気が引けた。もしかすると気のせい、勘違いかも知れないのだ。ともあれ、帰る支度をして、廊下の方から教室の中を確認してみれば済むことだ。そう思い直した佐和子は急いで帰り支度を済ますと、立ち上がった。
するとその時、背後のドアを誰かがノックする音が聞こえた。準備室には直接LL教室に入るドアと、廊下に出るドアがある。そして、それは明らかにLL教室側から聞こえ、もし用務員なら廊下側から声を掛ける筈である。
佐和子は踊り出す心臓を懸命に静めると、注意深く耳を澄ましてLL教室側のドアの前に立った。
磨り硝子の向こうは暗く、明かりはついていない。意を決した佐和子は、鍵をドアノブに差し込むと、音の主を突き止めようドアを勢いよく開け放った。
「誰か其処にいるの!?」
声を上擦らせながら、健気にも声を張り上げる美貌の女教師。暗闇にじっと目を凝らしてみると、教室の真ん中に少女の人影があった。制服を着たその人影は、佐和子が顧問を務める英会話倶楽部の部長、三年の清水英美であった。英会話倶楽部の部長であれば、LL教室の鍵を持たせているので其処に居ても不思議ではないが、時間があまりに遅い。しかも、明かりもつけずにいるのは不自然だ。
「し、清水さん。あなた一体何をしているの!?」
相手が見知った女の子であることに少し安心した佐和子は、それでもまだ興奮した調子で英美に質した。
「え、あの、片岡先生。御免なさい、忘れ物をして…。暗がりで明かりを探していたら机につまずいじゃって…」
利発そうな美少女、清水英美は猫のような瞳を伏せると、決まりが悪そうに身じろぎする。その少女の愛らしい仕草に、佐和子はようやく緊張を解き安堵の胸を撫で下ろした。
「もう、驚かさないでよ。何を忘れたのか知らないけど、こんな時間に女の子一人じゃ危ないわよ。用が済んだら早くお帰りなさい」
なるべく平静を装い、毅然とした調子で告げる佐和子。普通なら、そこで生徒は頭を下げ、少し恐縮してそれで終わりの筈であった。しかし、英美は奇妙な笑みを浮かべてその場を立ち去らなかった。
「あら、危ないのは先生も一緒じゃありませんか?」
英美の言葉に、首を傾げる佐和子。
「清水さん?」
「だって、そんなに熟れた身体をしてらっしゃるんだもの。乳房だってそんなにも豊かで、ミルクのように白い肌…。授業中でも男の子の視線がねっとりとからみついて、教室から生臭い臭いが立ち上ってくるようですわ」
「な、何を…何て事を!?」
生徒の信じられない言葉に、佐和子は声を詰まらせた。羞恥と怒りに顔が真っ赤に染まり、英美を叱責しようとするが、声を発しようとした瞬間ドアが閉まり、一瞬視界が暗闇に包まれた。
悲鳴を上げてドアにに駆け寄ろうとするが、机の下から現れた何者かに行く手を阻まれ、数人の手によって教壇に引きずり戻されてしまう。
佐和子を掴んでいる手はどれも英会話倶楽部の女子生徒のものであった。副部長の高橋美弥子と二年、一年の女子数名。誰もが少女とは思えない物凄い力で華奢な佐和子の四肢を押さえつけ、その表情には冷酷な笑みが浮かんでいた。