Ethno nationalism〜激動〜-5
ー福岡市ー
夜遅く、藤田は記事を書いていた。先日、取材に行ったムスリムの分離独立運動についてだ。
藤田が現地入りした時は、地震に遭った直後だろうか辺りは瓦解した建物があちこちに土台を晒していた。
さらに累々と横たわる屍体。パキスタン軍との戦闘によるものなのか、手や足が無いものや上半身または下半身だけのもの。
腹が裂け、内蔵が飛び出しているもの。
まさに地獄がそこにあったのだ。
藤田はそこに1週間滞在して写真を撮り、生の声を聞いた。
取材最終日。ようやく国連のPKOが支援物資や治安維持に乗り出して来た。
千枚近い写真の中から使えるモノをセレクトし、一枚々にあの時の状況を頭に描きながら、記事を進めていく。
頭の中にはベイルートの出来事は、すっかり消えていた。
藤田が帰国して10日が過ぎようとしていた。
「なんとか、出来上がったな」
その手に握られた、わずか10ページあまりの記事。だが、藤田が命がけで挑んだ戦闘地での出来事が、克明に綴られていた。
まさに魂のレポートだ。
藤田は雇主であるジェームス・オブライエンと、イギリス、日本間という時差8時間の距離をやりとりしながら、途中、何度も修正、加筆を行って記事を書き上げた。
「ナオ。原稿はこれでオッケーだ。後は写真なんだか、まだ、しばらく日本に居るんだろう?」
オブライエンの、すぐにでも写真を手に入れたい口ぶりに藤田は快く答える。
「だったらエアーエキスプレスでメモリーを送ろうか?原稿に合わせて写真を選べるように」
藤田の言葉に、オブライエンは嬉し気な声で、
「そうしてくれると助かるよ。何しろ写真のレイアウトもあるからな」
「分かった。すぐに送る」
藤田はそう言って受話器を元に戻した。
さっそく撮った写真のメモリーを新聞紙にくるむと、プラスチックケースに梱包する。