飃の啼く…第20章-16
「明日はお立ちか お名残惜しゅや
六軒茶屋まで 送りましょ
六軒茶屋の曲がりとで
紅葉のような 手をついて
糸より細い 声を出し
皆さんさよなら
ご機嫌よろしゅう お静かに
また来春も 来ておくれ
来春来るやら 来ないやら
姐さんいるやら いないやら
これが別れの盃と 思えば涙が 先に立つ
雨の 十日も
御連中さんよ 降ればよい」
歌い終わると、またしても拍手が起こる。やがて「また来年!」という明るい別れの挨拶を残して一人、また一人と帰途につく。遠くに住んでいる狗族は旅館へ、近隣の狗族はおのおのの家へ…そしてその前に全ての狗族が、私に声をかけてくれた。ある狸狗族は「有難うね」といってくれ、「あなたのような人間と共に戦えてこんなに嬉しいことはない」と言ってくれた狐狗族もいた。誰も彼も、来るべき時が来た暁には手を取り合って戦おうと約束をしてくれた。中には「再来年あたりは子連れで来なよ!」なんてのも。私は、みんなの手をしっかりと握ってお別れした。最後に、6人の長と一人ずつ握手をして、彼らも自分の国に帰っていった。
「風の身ならば 吹きもどそ、か…」
「ん?」
飃が呟いた。
「明日はお立ちか お名残惜しや
風の身ならば 吹きもどそ…昔の歌人の詠んだ歌だ。狗族はこの歌が好きなのだ。何故かはわからぬが。」
「風の身ならば…ずるいな、一番風と仲がいいのは狗族の癖に。」
飃は、のどの奥で抑えた笑い声を上げた。
「例え風の身でも叶わんさ…だから来春の約束を交わす。」
それもそうだ。私がうむ。とうなずくと、飃が後ろから抱きしめた。
「生き残るぞ…さくら。お前は己が死なせない。どんなことをしても。どんな手を使っても、お前を一生己の傍に置く。」
そして息をするのが少し苦しくなるほど抱きしめた。赤くなり始めた空はどこも翳ってなどいないのに、夜をめくって現れた新たな一日は、また一歩戦いに近づくことを意味する。
「…死なないよ。飃だって、私を残して死んだりしたら、殺してやるから。」
そして、二人で笑った。
祭りの跡の通りは、必要以上に静まり返っていて、静謐な雰囲気さえ漂っていた。私たちは、その空気を踏みしめるようにゆっくり歩いて、時々同時に話し始めて、そして噴出した。帰るころには、私たちの町の桜はもうほとんど散ってしまっているのだろう。そうしたらすぐに夏が来る。飃と出会って一年がたってしまう。