不確かなモノ-2
コンコンコン…
「霜村様、タオルをお持ち致しました」
私の控え目な声とドアをノックする音だけが、静かな廊下に響き渡る。
そして、すぐに目の前の扉が開かれた。
「あぁ、本当に来てくれたんですね」
顔を覗かせた霜村は、いたずらっ子の様な笑みを浮かべている。
コイツ…もしかして、私で楽しんでる?
何故だか霧消に腹が立った。
「では、私はこれで失礼します。ごゆっくりどうぞ」
私は怒りを抑えて丁寧に頭を下げる。ホテリエたる者、いついかなる時もエレガントに…これが私のモットーだ。
でも次の瞬間、いきなり手を引かれて部屋の中へと引き込まれてしまった。
「7年ぶりに再会したんですから、もう少しここに居たらどうです?」
目の前の男は、相も変わらず嫌な笑みを湛えている。
「霜村様、この様な事をされては困ります」
「堅いですねぇ…いつまでそんな他人行儀な話し方をされるおつもりですか?」
「仕事中ですから…では、私はこれで」
私はクルッと後ろを向いて、ドアノブへと手を伸ばした。
でも、すぐにその手は捕まえられて、体ごと霜村の方へと引き寄せられる。
「行かせませんよ」
耳元で囁かれて、全身にゾクゾクッとした感覚が走る。
どうにかして逃げようと後退りすると、ドアと霜村の間に挟まれて、逆に身動きが取れなくなってしまった。
「観念したらどうです?」
霜村の瞳が、妖しく光る。
「さ、叫ぶわよ?」
「どうぞご自由に。人が来て困るのは、僕じゃなくて貴方の方ですよね?可哀想に…明日から仕事がやりにくくなりますねぇ?」
「ひ、卑怯な…」
高校を卒業してすぐに入社して約7年…地道にやって来て、念願だったフロントカウンターにも立てているのに、こんな事で駄目になんてしたくない。
私はキュッと唇を噛んだ。
目の前の男に抗えないのが、酷く悔しい。
「久しぶりに見ました、その表情……」
「え?」
「キス…して欲しくなっちゃいましたか?」
「なっ、なんでそう…んっ!」
アッという間…気付いた時には、頬を両手で押さえられて唇を奪われていた。
せめてもの抵抗で固く唇を閉じても、結局は無駄で…すぐに自分のものではない舌が口内に割り入って来た。
口を塞がれたまま息も出来ず、ただただ激しい口付けに翻弄されてしまう。
悔しい程に、体が熱い。
トゥルルルル…
急に電話の音が鳴り響いて、私はビクッと肩を震わせる。
一瞬で現実へと引き戻された。
仕事中なのに…何やってるんだろう……
私は何とかして逃れようと、霜村の胸を強く叩く。
「ちょっ、霜村っ!んんっ!」
でも、そんな私の攻撃には全く動じずに、霜村は更に激しいキスをして来る。
頬を押さえていた手は腰と頭の後ろに回され、強く抱き締められたまま、微かな抵抗さえももう出来ない。
私…どうしたら良いの?
ドンドンドンドン…
どれくらいの時間が経ったのか…今度は背後のドアが、大きな音を立てた。
かなりの力で叩いているらしく、僅かに触れる背中から振動が伝わって来る。
「倫クン、居ないのぉ?ねぇ、り〜んくぅんっ!」
明るいこの声には、聞き覚えが有る。この声…小牧 李鈴の声だ。
霜村の方も当然気付いたらしく、ピタッとキスを止めて唇を離した。
そして一瞬眉根に皺を寄せると、私の唇に人差し指を当てる。
『静かにして下さいね』
霜村の瞳がそう言っている。
敢えて釘を刺さなくても、私には“静かにする”しか選択肢が無いのに……