カクシゴト-1
いつも通り突然ドアが開き、当たり前のような顔をした綾が、俺の部屋に入って来る。
相変わらずの光景に、俺は内心、少し動揺していた。
「漫画、借りるよ」
適当に返事をしながら、その表情を盗み見る。
やっぱり、普通。
失恋した、っていうのに。
今日、綾が片想いをしていた男に、彼女ができた。
綾は自分の気持ちを誰かに打ち明けたりはしないし、感情が表に出やすいタイプでもない。
だから、俺が綾の気持ちを知っていることは、綾自身も気付いていない。
「何これ、ウケる」
ペラペラとページをめくりながら、愉快そうに笑う綾。
俺と綾は幼なじみ。
でも、それが理由で綾の気持ちに気付いたわけじゃないと思う。
俺が、綾を好きだから。
ずっと見つめていたから、気付いた。
「面白いか?」
「うん、最高」
「そうか」
あまりにも自然な態度。
でも、俺の勘違いではない。
だって、思い出せる。
アイツに向かう、あの切なげな視線を。
紅くなる頬を。
少し震える声を。
綾は、アイツが好きだ。
「なぁ…」
「ん?」
気付かないふりを通してやった方がいいのだろうか。
本人が隠したがっていることを、わざわざ曝す必要などないだろう。
「何、固まってんの?」でも。
たぶん、コイツ、一人のときにすげぇ泣くんだ。
それで、何も無かったみたいに、俺や友達の前では笑ってみせるんだ。
「泣けば」
我慢できずに、口にしてしまった。
綾は何も言わず、俺も何と続ければいいのかわからずに黙ってしまう。
やはり、言うべきではなかったのかもしれない…。
「泣く」
不意に、綾はそう呟くと、滝のように涙を流し始めた。
予想外のことに、俺は呆気に取られる。
「なんだよ!気付いてたなら言ってよ!」
「わ、悪い」
「余計に惨めじゃん!!」
「悪かったって…」
ああ、これで良かったんだ。
暴れ散らす綾を宥め、俺は思った。
そして、無性に伝えたくなってしまった。
「綾」
「なに!」
「もう一つ、隠してたこと、あんだけど」
「なんだと!?はけ!」
「俺、おまえのこと好きだから」
腰に回された腕が、いつもより控えめだ。
今までは、ちっとも俺を男として意識なんかしていなかったのに。
嬉しい気もするし、よそよそしさが寂しい気もする。
「ちゃんと掴まないと落ちるぞ」
腕を引き寄せようとしたが、綾は頑として動かなかった。
「ねぇ、漕ぐの遅くない?」
「誰かさんが重いからな」
本当はできるだけ長く、彼女を自転車の後ろに乗せて走るこの時を感じていたいから。
「…ねぇ、倖貴」
「あ?」
「ありがとね」
それが、だらし無く流れ続ける涙や鼻水を拭ってやったことに対してか、勢いで口にしてしまった俺の気持ちに対してかは、わからなかったけれど。
後ろの綾が、心から微笑んでいるのがわかったから、俺は幸せだった。
とりあえず今は、それで十分だった。
「どういたしまして」
俺は答え、ペダルを強く踏んだ。