多分、救いのない話。-4--8
「……えーと、」
言葉を見つけられず、水瀬は黙り込む。それをどう見たのか、
「まあ、それはさておき」
……さておかれてしまった。
「ごめんなさいね、心配してくれたのでしょう?」
貴女は優しいからと、いつの間にか水瀬のよく知る彼女に戻っていた。慈愛に関わらないところでは、寧ろ彼女は人格者だと思う。逆に言えば、彼女は慈愛に関係のない、危害を加えない人間には普通に優しい。彼女の基準は、全て慈愛にある。ソレが歪みを生んでいるのだが――水瀬にはとても、その歪みの中にある闇を払えな い。歪みの遠因は自分にもある。
「いや、神栖さんこそ。忙しかったんでしょう?」
彼女は首を横に振り、
「いいえ。奈津美さんと話すのは、楽しいわ」
お世辞ではない、本心からの言葉に胸が痛む。結局の所、話を聞いてあげるぐらいしか出来ない。だがこれ以上慈愛に関する話題は、ソレをする勇気が水瀬にはもうなかった。なので話題を変える。
「神栖さんは結婚する気ないの?」
「うーん……」
一口お茶を飲み、そういえばまだ料理に口をつけてなかったと箸をのばす。薄味だが素材の味が生きていて、美味しかった。彼女はそんな食べる様子を見ながら、
「仕事も忙しいし。もう年だし中々ね」
「神栖さん美人だから全然大丈夫だって。今三十四?」
「今年で三十五」
「じゃあまだまだこれからじゃない!」
四十を過ぎた自分の、本音が出てしまいそうになった。若くて(見かけは二十代にも見えるんだから実年齢は関係ない)美人で仕事も出来るっていいなぁ。
「……えっと、火口さんだっけ? 大学から一緒って人。あの人は?」
「火口? 火口は……結婚は絶対嫌がるでしょうね。それに」
彼女は笑う。嗤う。哂う。笑う以外にどうしようも出来ないと言いたげに。
「『あの人』が何処に居るかもわからないのに、結婚は考えられないわ」
「………!」
言いたくなる。
お前は知ってるんじゃないのか。
言いたくなる。
お前が何かやったんじゃないか。
怒鳴りたくなる。
――今、何処に居るのか、貴女が知らないなんてあるはずがないでしょう!
問い詰めたくなる。
――今すぐ教えろ!! 知らないなんて言わせない、いわせない、イワセナイ!!!
「奈津美さん」
彼女は……笑顔を消していた。
気付く。自分の持っている箸が、無残に折れていた。
「あ、……その」
彼女は……無表情に、こちらを見つめていた。
全てを見透かされていた。
「ごめんなさい」
なのに、彼女は、謝った。
「私は知らないの……本当に」
それが、本心からなのかは分からない。少なくとも、水瀬は嘘だと思った。
それでも、真摯に謝るその瞳は、哀しげに見えた。
「こっちこそ……ごめんね」
彼女が慈愛のことになると人が変わるように。
自分も『あの子』のことになると、自分を抑えきれなくなる。
――『あの子』が、目の前の彼女の狂気を決定付けたにも拘らず。
「…………」
「…………」
お互い、言葉を見つけられなかった。或いは、彼女は敢えて黙ってくれたのかもしれないけど。
お互い歪な友人関係。自分は贖罪と、何より知りたい為。彼女は『教育方針』を知っていながら、見て見ぬ振りをする数少ない人間が自分だったという理由から。
だけど。それでも。
「今日はこの辺にしておきましょうか」
彼女が立ち上がった。彼女にとって自分は、数少ない友人だから。
“慈愛に害にならない限り”は、それなりに大事にする。それが彼女の、水瀬に対するスタンスだった。
それをどうこういう資格は自分にはない。だから自分には、彼女を止めることなど出来るはずがないのだ。