多分、救いのない話。-4--6
店を出た後、タクシーを拾って赤坂の高級料亭(!)に会話の場を移した。単に料理の旨さで選んだのではなく、会話の内容が絶対に漏れることのないというある種の信用で成り立っている、そういう料亭。無論水瀬は彼女に関わらなければこの料亭の前に立つことすらしなかっただろうと思う。さっきは別々の会計だ ったが、財布は大丈夫だろうか。給料一月分ぐらい簡単に飛びそうな部屋の内装に、内心物凄く緊張していた。
「そう固まらなくても。ここは馴染みのお店だから、顔パスでいけるから大丈夫ですよ」
「…………」
おごるおごらない以前の問題だった。顔パスってなんなんだろう。ただで飲食が出来るということ? そもそも払う必要がないのならこの店はどうやって成り立っているのだろう。
「ここは財政界の要人たちもよく利用しているんです。あまり人に聞かれたくない話をする時にね」
「……あなたもよく利用するの?」
彼女は首を振り、否定した。
「個人的には利用したことはないけど。たまにね、ここで人に言えない話を聞かされたりはします」
はあ、と溜め息を吐かれた。なんか複雑な気分。
「それで? 『至急、話したいこと』って何でしょう?」
相手のペースに乗りたくないというわけでもないが、このまま彼女に流れを捉まれるのは決していい流れにはいかないだろう。そう判断し、別の方に話を向ける。
「至急と言ってもここまで早く会ってくれるとは思わなかった。仕事忙しいんでしょ?」
彼女との付き合いは短くない。今は『教師と保護者』ではなく、『友人同士』として、あえてフランクな話し方をする。
彼女は運ばれてきたお茶を飲みながら、
「スケジュールはある程度融通を利かせられるように調整してるんです。可能なかぎり仕事は早め早めにこなして、突発的な事態に対応できるよう」
彼女から仕事に関する話を聞くたび、日本有数の大企業のトップは楽ではなさそうだといつも思う。なんでもなさそうに言っているが、本来自分と食事するだけでも大変な筈だ。
そんな中で、『家庭の時間』を確保するのは、一体どれだけの苦労があるのだろう。
「いつも思うけど、大変ね。色んな企業を総括して纏めるのも」
彼女は困ったように笑った。
「両親から受け継いだものですから。自分の会社、という感じがしないの。収入は必要だからそれなりには仕事を回しているけど」
「そうなの? トップというか、社会的な地位?みたいなものに対する執着はない?」
「さっきも言ったけど、自分の会社という気がしないから。でも大変なだけじゃ損だから、たまには立場を“利用”したりもするけど」
クスクスと冗談めかして笑ったが、それが今まさに問題にしようとしていることで、水瀬には笑えなかった。
「自分の為に利用したことはないけど。慈愛の為ならね」
自分の娘の名前が出てきた事で、本当に僅かに気配が変わった。本題に、入るべき時が来た。
「その慈愛ちゃんのことなんですけど」
お茶を飲み、あくまでも『友人として』の忠告として、告げる。
「葉月先生、あなたにあまりいい印象を持っていないようですよ」
そうね、と彼女は事もなげに頷いた。
「私と慈愛の関係を“勘違い”しているみたいね。思い込みが激しいのかしら」
「教育への情熱はありますが、若い分視野が狭いところがあるのは、……あるんだけど。でも」
「関係ないわ」
それはあまりに唐突な変化で、地雷を踏んだことに気付くのに一瞬遅れた。もう、遅かった。
「関係ないの。……そんなことは」
クスクスと、先程と似たような、しかし明らかに違う“何か”を含めた笑声。その笑顔を見て、水瀬は――
××で、胸がつまった。