多分、救いのない話。-4--5
多少時間が遅くなるかもとしれない言われていたので、相手が先に待ち合わせ場所にいた時は驚かなかったといえば、嘘になる。
「……神栖さん?」
待ち合わせの相手――神栖慈愛の母親は、仕事用でない、ちょっとカジュアルに見えるような、それでも気品を損なわない、そんな服を着ている。整った顔立ちが生活感を奪っていたが、何処か浮き世離れしているのは彼女の常で、それは仕方がない。彼女なりに自分に合わせてくれたのだろうことを水瀬は知っていた。
「ごめんなさい、待たせましたか?」
いいえと儀礼的に否定する彼女は、渋谷というこの待ち合わせ場所にはあらゆる意味で不釣り合いだった。ちらちらと他人の視線が気になってくる。何度かメディアに露出してはいるが、メディアの視聴者層から若い世代にはあまり知られていないだろうと見込んだのは甘かったようだ。容貌も身に纏う雰囲気も普通の人とはかけ 離れてる。彼女自身を知らなくても、他人を惹き込む“何か”を、彼女は持っていた。それこそが一番彼女の怖いところだと、水瀬は秘かに思う。
「移動しましょうか。何か行ってみたい所はありますか?」
「奈津美さんに任せます。私、渋谷は詳しくないから」
と、言われても水瀬もそれほど詳しいわけではない。少し考えてみたが、すぐに面倒になり、
「ちょっとぶらぶらしてみましょうか。食事はもう済ませましたか?」
「いいえ。……そうね。今時の子供たちはどんなものを食べてるのか、少し興味があるの」
中学生が寄り道で食べるものなど今も昔もジャンクフードだろうと思うのだが、よく考えたら彼女はジャンクフードを食べたことがほとんどないのだろう。近くにあったので最近オープンしたファーストフード店に入ってみる。生徒の評判は結構よかったが、自分達の年代ではどうなのだろう。
「神栖さん、注文決まりました?」
「…………」
ファーストフードでメニューを悩まれると正直困る。列が長くなった。比例して、視線が痛くなった。ちくちくちく。あいたたたたた。
「食べれないものとか、嫌いなものはありますか?」
「うーん、私は好き嫌いないけど」
「じゃあ……」
水瀬もメニューを見てみる。一番大きく取り上げられていたタコスバーガーとかいうやつのセットを頼み、水瀬自身は珈琲だけを頼む。三階の禁煙席が奇跡的に空いていたので、狭いテーブルに二人向かい合って座った。この状況が何故か妙に現実味がなく、周囲の喧騒がそれに拍車を掛けていた。
「…………」
「どうかしましたか?」
アイスじゃなくホットにすればよかったなとどうでもいいことを考えながら、今だにタコスバーガーに手を付けない彼女に話し掛けてみた。彼女は何処か困ったように笑いながら、
「これどうやって食べるものなの?」
珈琲を吹き出さないように出来たのは、水瀬の教師魂の賜物だ。そうしておこう。
「えっとですね、普通にかぶりつけばいいんですよ。手にソース着くのが嫌ならああいう風に」
別の席に座っている赤の他人を見本にさせて、
「包み紙を半分だけ剥いて、そこを持てばいいですよ」
なるほど、と頷き、その通りにかぶりついた。知らないことは素直に尋ねる姿勢は、お嬢様にありがちなタカビーな様子がなく、正直に言って好感を持てる。
「美味しいですか?」
「食べたことのない味。たまにはこういうのもいいのかしらね。食べ物は栄養価だけじゃないものね」
にこり、と笑う笑顔は本当に屈託がなく、嬉しそうで。
“それ”にメグちゃんのニコニコ顔が重なって。
何かが軋んだ。
泣きたくなった。
「奈津美さん?」
駄目だ、と自らを戒める。
彼女は人の心を察するのが異常に上手い。そして、人の心を利用することを躊躇わない。
そうなったのは、自分の××××が彼女を×××し、慈愛を×××せて、自分は×××を止められなくて、本来なら彼女は私を××しても、一切文句は言えなくて、それでも自分は自分の××××がどうなったのか知りたくて、そんな動機で近付いたことを知っている“彼女”は――
「奈津美さん」
彼女の声が、冷え込んだ。
「ここは話し合いに向きませんね。あとで場所を移動しましょう?」
それは彼女なりの気遣いなのだと、水瀬は知っている。
その気遣いが自分を追い詰めていることも、――彼女は知っていて、それでも気遣いを止めないのは、何故なのか。
考えたくなかった。