多分、救いのない話。-4--3
ふわぁと欠伸をかみ殺しながら、いつものように保健室に向かう。眠気のあまり、午前の授業は集中できなかった。『家庭学習』」が異様なペースで進んでいるため、集中する必要はあまりないのだが、手を抜くとやはり成績は落ちる。それでも十分平均を上回るだろうが、一定の、つまりは学年一位という成績はキー プしたい。
しかし本当に眠い。朝食もあまり食べられなかった。
………………。
結局あの後何が何やらよくわからないまま一夜が明けた。
顔を洗って朝食を食べるが、眠くて頭が働かない。昨日は眠れなかった。
「ふわぁ」
「あら、昨日は眠れなかった?」
「もにょもにょかんがんねむねむ」
「ものすごく考え込んで眠れなかった?」
「お母さんよくわかったねー」
素直に感心する。慈愛の独特の言葉(周りは『メグ語』と呼んでいる)を理解できるのは母だけだった。なら普通に日本語を話せばいいと周りは言うが、説明するほどのないことを口にするのは面倒なので適当なニュアンスの擬音を言ったらこうなった。理解してもらう必要のない言葉だが、やはりニュアンスを理解してもらえる のは嬉しいものだ。
「慈愛の考えてることなら何でも理解るのよ」
「ふえぇ。お母さん、超能力者?」
「うーん、多分違うと思う」
「じゃあ霊能力者?」
「霊能力はないけど、霊感ならあるわよ」
「ほんとー? で、どう違うのその二つ?」
「どっちも同じ。単なる妄想と勘違いじゃないかしらね」
「あれ、じゃあお母さんは常に妄想と勘違いしてるの?」
「違うけど。違わないかな? 多分、人間は皆そうじゃないかしら?」
「えー、ってことは霊能力や霊感は人類皆持ってるの?」
「だから幽霊の目撃談は後を絶たないでしょ?」
「そっかぁ、じゃあ霊感のない慈愛は人間じゃないんだねー」
「そういうことなのかしらね? じゃああなたは何者なの一体」
他人が聞いたら少し(少し?)ずれた会話だが、親子にとってはいつものこと。会話のある食事は、楽しい。慈愛はニコニコと笑って答えた。
「慈愛は慈愛だよー。神栖慈愛。“お母さんの子供”です」
「……。そうね」
母も嬉しそうに笑う。いつも微笑んでくれてはいるけど、それは母のニュートラルの顔が微笑みだというだけだ。母が笑ってくれるのは、慈愛にとってとても嬉しいことだ。
「今日はいいことがありそうですねぇ」
「昨日は大変だったものね」
「………!」
ずん、と沈む。今のは効いた。
「葉月先生、何で倒れちゃったんだろ……?」
眠れなかったのもそのせいだ。自分に落ち度があったんじゃないかと、どうしても考えてしまうのだ。それに、あの時の先生はなんだか、
(怯えてた?)
「気にする必要はないと思うけど」
いじいじ気にする慈愛に対し、母はドライだった。
「心配なら、今日会ったら『大丈夫でしたか?』って訊けばいいわ。それで話は終わり」
「ふにゅー、そうかなあ?」
母はそれ以上は構わずに、
「ほら、遅刻するわよ」
時計を確認する。
「はにゃあ、ホントですー!」
トーストを口に詰めこむ。これは、いつもどおりの朝だった。
でももう、いつもどおりの日常は、既に崩壊の兆しを見せていたのだ。