甘辛シロップ-8
「…とは言ってないのに。 なあ将太?」
透が顔を覗き込んでくる。 相も変わらず爽やかな顔つきだ。
適当に相槌を打っておこう。
「え? うん…」
─と、急にこんなところで大事なことを思い出してしまった。
「…ああっ!」
「んなっ!? い、いきなりどうした!?」
…宮藤 聖奈さん。 僕が雪柳宅を訪れる度に渋味のある紅茶と、
手作りのバター・バニラクッキーを差し出しては、優しく持て成してくれる
雪柳家にとって欠かせない存在の家政婦さん。
…本名は、宮藤・セイナ・アレッシア…さん。 当然だけど同一人物だ。
日本人の父とイタリア人の母から生まれた混血の人…つまり、ハーフ
…にも関わらず、なぜ日本の和服美人を象徴する大和撫子の様な
美しい黒髪・黒眼であるかは聞かされていない。
そうだ、僕はこの人の存在を忘れていたんだ。
もしも、凪がそこに着いた途端にベルを鳴らして、家事をしていた聖奈さんが
応答したとする。
…するとどうなるのだろうか。 僕と透が家にいないことを知り、
待ち続けるか、直感で僕達を捜すか……どっちかしかない!
というか根本的な問題だ、聖奈さんがいてもいなくても選択は変わらないんじゃないのか?
……己の馬鹿さを悔やもう。
「…おーい、考え事してるところを邪魔しちゃって悪いんだが、もう着いたぞ」
………地獄はこの先で待ってるんだよ、きっと。
「ん? うお、なんだこりゃ! ドアがボロボロに…」
…凪はいないと祈って。
◇
聖奈さんの温かい手が、私の微妙に冷たい手を包み
「恋に障害は付き物、止まらずひたすらアタックです!
かつてのセキトリマンの恋人…『ヲトメ』のようにっ!!」
と、言い放ってきました。 ちゃんちゃん。
「………………」
………………………。
「…………」
「…………」
記憶にないのですが…私、聖奈さんに何か言いましたかね?
急にセキトリマンだの何だのと言われましても…どうリアクションを
とれば良いのか、困ってしまいます。
そういえばセキトリマンって、ショウちゃんの好きなヒーローNo.1に位置する
キャラクター、でしたっけ? 私には理解しかねますが。
ちょっと意外です、聖奈さんも知っていたとは。
…そうじゃなくて。
「『当たり続けて砕けさせろ』ってことですか。 そのような生き方は私も憧れます。 …いえ、あの、その、ええと…」
「………」
ちらりと聖奈さんの顔を見る。 …何故かお顔が真っ赤っか。
…流れがおかしい…。