ノスタルジィ-1
晩秋の朝。庭の富有柿が紅く色づき、スズメや山鳩に混じって百舌鳥の声が、聴こえてくる。
「寝坊したーーっ!!」
静寂とした朝を打ち破るように、けたたましい音が廊下に鳴り響く。
バタバタと洗面と髪のブラッシングを終えると、彼女はトイレの前で罵声を吐いた。
「オマエ、早くしろよ!」
〈オマエ〉呼ばわりされたのは、彼女の兄である。
「早くしろったって、今入ったばっかりだぞ」
「オマエが出るのを待ってたら、私が間に合わないんだよ!」
2人の掛け合いに、さすがに見かねた母親が彼女を一喝する。
「何て言葉使ってんの!中学生にもなって!」
だが、彼女は母親の言葉にひるむ事なく、
「もういい!間に合わないから行ってくる!」
そう言って彼女が出掛けようとするのを〈じゃあ牛乳だけ飲んで行きなさい〉と母親は牛乳の入ったコップを差し出す。
彼女はそれを奪い取ると、腰に手をあてて一気に飲み干した。
「ああ、そう言えば……」
彼女は思い出したように母親に向かって、
「お母さん!明日、2Bの鉛筆がいるのよ。買っといてくんない?」
それだけ言うと玄関へと走って行く。
「ち、ちょっと!私、知らないわよ!」
母親はそう叫んだが、娘には届かなかったようだ。
その成り行きを父親は、朝食を摂りながら黙って聴いていた。そして何かを思い出したように、含み笑いを浮かべた。
午後の予鈴。
美術の授業に備えて佐野伸治は、スケッチブックと2Bの鉛筆を、カバンから出すと机に並べる。
子供の頃から絵を描くのが好きな伸治。とりわけ鉛筆の濃淡で大まかに描きわけるクロッキーが好きだった。
小学生の頃、絵画コンクールで県知事賞をもらったほどの腕前。
それ故、先輩達からは美術部に勧誘されたほどだ。
しかし、伸治はそれを断った。授業以外で、時間を制約されて描くのは好きじゃないからだ。
彼は久しぶりのクロッキー画に、心踊らせていた。
「はぁ……」
ふと、隣席の豊原美鈴が、ため息を吐きながら俯むいていた。