多分、救いのない話。-3--6
結局その後のことは良く覚えていない。多分、社長の言うとおりになんか動いたと思うのだが、思い出したくもないことだ。
だけど今もなお、悪夢は現在進行形で慈愛を蝕んでいる。詳しくは知らない。だが悪夢が蝕んでいることを火口は知っていて、慈愛は知っていることを知っていて、それでいて助けようともしない火口に対してニコニコ笑えるのが、火口にはどうしても理解らない。親も不可解だが、火口には寧ろこの子供の方がよほど不可解だ。
「火口」
担任と話し終わった社長が、いつの間にかこちらを向いていた。後ろめたさを隠し、「なんやー?」と問い返す。
「じゃあ、先生を御自宅まで送ってくれる?」
「ほーい。ほな行くで先生」
「恐縮です。お手数おかけします」
「いや、まあ」
なんや、えらい堅い兄ちゃんやなあと内心苦笑する。地下駐車場まで見送ってきた親子となにやら会話していたが、火口はもう、車に乗り込んでいた。助手席に教師を乗せる。
「家どのへんや?」
「○○駅の近くです。そこまでで結構ですので」
「ええよええよ。家まで送るで、手間はそんなに変わらんし」
エンジンをかけ、車を発進させる。この時間帯は下手したら渋滞するかもしれないから、裏道を通っていくことにした。黙っているのは性に合わないから、とりあえず話しかけてみる。
「先生、若いな。年いくつや?」
「二十三です。教師は二年目になります」
「わっかいなあ! 俺、二十三ん時何してたやろ? 覚えてへんわあ、今が一番仕事楽しい時ちゃうか?」
「まあ、そうですね」
「でも教師って大変やろ? わけわからんクレームとかついたりするって聞いたで」
「時々は。でも大抵分かっていただけますよ」
「ほんまかぁ? ま、ええけど。でも忙しすぎて今日とかしんどくなったんちゃう? ちゃんと休みはとりや」
苦笑、
「肝に銘じます」
「そか」
なんか適当にあしらわれている気分だった。まあ、先程まで倒れていたのに話しかける火口も悪かったか。黙って運転に集中する。ネズミ捕りとかなければいいが。
「火口さん、って仰いましたよね」
「ん? なんや?」
「神栖さんとはどういう御関係ですか?」
一番定義が曖昧な質問だった。適当に答えを返す。
「まあ、知り合いの子供、やけど。大学時代からの知り合いやからな。メグちゃんは生まれた時から知ってるで、あの子可愛かってんよ。今もやけどな」
赤信号だった。ブレーキをかける。
「そうですか……神栖さんのお母さんと。お母さんはどんな方ですか?」
嫌な質問だった。誤魔化すことにする。
「なんや、社長に惚れたんか? やめときやめとき! 社長は死んだ旦那に一筋! これ有名やで」
はっはっはと笑い飛ばす。話はこれで終わり、その筈だった。
しかし予想外にも、さらに食いつく。
「家庭で問題が起こっている、と言うのは聞いた事ありませんか?」
そして最悪の食いつき方だった。予想以上に不機嫌な声が出る。
「仲いい親子や。見てわからんか?」
機嫌を悪くしたと分かり、眠りの王子は黙り込んだ。
しまった、と思う。フォローを入れるべきか迷い…入れることにした。
「仲ええよ。社長はメグちゃんのこと、ホンマに大事にしてる。だから何があっても……他人が口出ししてええもんちゃうわ、アレは」
「……すみません、不躾な質問でした」
「ん」
もしかしたら、と思う。この先生は。
「先生、あんた」
何でそんなことを聞くん? その問いかけは、ついに口から出なかった。
だから教師は答えない。ずっと応えない。そして車内は沈黙で満たされた。当然の帰結だった。