てくてく-5
初菜の右手に大池が広がる。いつも見る風景。彼女の自宅から1キロと離れていない場所。
陸地の部分が大きくせり出し、入江のように複雑な形をしている。
いつもは電車の車窓からや自転車で通り過ぎる風景で、歩きながらじっくり眺めるのは久しぶりだった。
(へぇ、平日でも結構、人がいるんだ)
数年前の改装工事で、池の外周に遊歩道を舗装し、池の真ん中に橋が架かっていた。
その遊歩道をジョギングする中年男性や散歩をする女性。釣りに興じる若い人にベンチでお喋りをするお年寄りなど、平日の昼間に関わらず、様々な年齢層の人が結構な人数で池の周りに居たのだ。
初菜には池の周りだけ、ゆっくりと時間が流れているような気がした。
(あと、ちょっとだ…)
大池を後にして、その先を下って行く。下り坂を過ぎて、信号から左に曲がった先が初菜の家だ。
初菜は急かすように坂道を降りて行き、信号から左に曲がった。
すると、
《ブアアァァーーン》
先ほど通り過ぎた大池あたりから汽笛が聴こえる。初菜は立ち止まるとその方向を眺めた。
クリーム色に紺色のラインが入った2両の車体がガタンガタンと線路を鳴らして現れた。
その先には初菜がいつも乗り降りする無人駅が見える。
(結局同じか……)
初菜はしばらく電車を眺めた後、家へと帰っていった。
「ねぇ、お母さん。姉ちゃんどうしたの?」
初菜の妹、綾音は夕食の手伝いをしながら母親の美沙子に訊いた。
「3時ごろ〈お腹空いた〜!何か食べさせて〉って帰って来て。仕方ないからお昼の残りとラーメン食べたらそのまま寝ちゃったのよ」
初菜はリビングで制服姿のまま、横向きで少し身体を屈めて眠っていた。
「それに何だか汗臭いよ」
綾音の言葉に、美沙子はチラッと初菜を見ると、
「ほっときなさい。色々あるんでしょう」
そう言うと料理を始めた。
寝息をたてる初菜は楽しい夢でも見てるのだろうか。その顔には時折、笑みが溢れていた。
…「てくてく 完」…