社外情事?〜鬱屈飲酒と意外情事〜-4
「それが悔しくて、業績を上げて見返そうとしても、回される仕事はほぼ皆無。それでも率先して仕事をもらいにいっても、その上司は邪険にするばっかりでどうしようもない」
ぽつり、ぽつり。一度漏れ出た不満は、水漏れのように少しずつ、しかし止めどなくあふれ出る。
「同僚は同情してくれます。で、仕事を回してくれたりはするんです。でも、それで仕事をこなしたとしても、自分の業績にはならない。挙句、来月からはとうとう給料も減額される、なんて話まで噂が出てくる始末。なんだか、じわじわと首絞められてるみたいな気分です」
「……ふぅん」
「そうなった原因はわかってるんです。上司から書類チェックを頼まれた時に、重要なミスがあった事に気づいたんです。でもそれを言っても上司は忘れたのか、そのままで提出しようとして、慌てて止めたんです。ただ、それが更に上の上司に知られたらしく、その上司は大目玉。それ以来、そんな状況に立たされてるんで、多分その一件が原因なんです」
ため息が一つ。誠司はグラスの中身を一気に飲み干す。
女性は焼鳥の串をくるくると回しながら、それを黙って聞いていた。店主は店主で、何も言わずに魚をさばく。
「おそらくそこで指摘しなきゃ、上から怒られる事はあっても今ほどひどい状況にはならなかったのかもしれません。そう思うと、なんだか上司に対して腹立たしいやら、不器用な自分に対して情けないやら……って、すみません。なんか、暗くなっちゃいました」
ようやく奇妙な沈黙に気付いた誠司は、沈黙を守る女性に謝罪した。
対して、彼女は。
「謝るような事は、君には全くないわ」
慰めの言葉。しかしその横顔は、難題に直面したかのようにしかめられている。
「むしろ、上司のミスを指摘した事を誇るべきだわ」
難しい表情をしながら言葉を続け、それきり黙り込む。
――沈黙、再び。
誠司は声をかけていいのかわからず、空になったグラスを凝視する。
(……また、やっちゃった感じだ)
気まずさのあまり、自分の不満を出会ったばかりの他人に吐露してしまった事を心の内で後悔する誠司。今の状況が頭の中で、上司のミスを指摘した時の事とダブり、リフレインしていく。
強まる後悔。それはとどまる事を知らない。やがて考える事そのものが嫌になっていく。頭の中にもやがかかり、次第に目に映る景色の色が黒を帯び――
「倉本さん?」
ふと、店主が呼びかける。だが誠司は重ねた手を額につけて俯いたまま、呼びかけに応えない。
「どうしたのかしら」
ついさっきまで難しい表情をしていた女性も、誠司の体が動かない事に気付く。怪訝そうな顔で彼女は首を傾け、俯いた誠司の顔を下から見上げた。
「……寝てるわ」
それだけ呟くと、彼女はやれやれと肩をすくめた。
「……今日は、少し飲ませすぎましたな」
店主も首を振る。
「二年来の付き合いなのに、倉本さんが酒に弱いのを忘れちまってました」
「あら、珍しいじゃない。おやっさんがそういう事を忘れるなんて」
からかうような笑みを浮かべ、女性は店主に言う。それを苦笑いで返しながら、店主はさばいた後に残った魚の骨をぶつ切りにして、いつの間にか用意していた鍋の、その中でふつふつと泡を出す湯の中に放り込んだ。蛇口をひねり、丁寧にまな板と包丁を洗いながら、彼は呟く。
「今日は、ちと可哀想でねぇ……何でも、同僚はみんなそれなりの扱いらしいけど、その上司だけはみそっかす扱いみたいで。人一倍頑張ってるみたいから、なお不憫でねぇ」
「ふぅん……」
「倉本さん、ここで酒を頼む時は大抵、嫌な事が積もった時だけで。すぐにわかっちまうんですよ、どんだけため込んでるのか」
「……」
店主が誠司を見ながら同情の響きを込めて語るのを、女性は黙って聞いている。
「倉本さんの沈んだ顔を見るのは嫌でねぇ……彼が酒を頼む時は、励ましの意味を込めて、酒代だけはこっちが持ってるんでさぁ」
「そう」
相槌を打つ。それから彼女は、串に残っていた焼鳥を頬張る。それから、何か言いたげな表情で、俯いたまま静かに眠る誠司に目を向けた。
――そして。
「……よし」
不意に女性が声を出す。続いて手元の焼き鳥をさっさと口にすると、懐から一枚のお札を取り出してカウンターに置き、立ち上がる。それを見て、店主が残念そうな顔をした。
「おや、久々に来たのにもう行っちまうんですかい?」
「えぇ。ホントはゆっくりする予定だったんだけど、急用ができちゃって」
女性はそう言って、静かに寝息を立て始めた誠司に目を向ける。
「彼、連れてっちゃうわね。お代は彼の分込み、お釣りはナシでいいわ」
その言葉に店主は怪訝な目をしたが、それも一瞬。すぐに合点がいったようで、「あぁ」と声を上げた。
「そういえば、そうでしたな」
「そ」
「……がんばってくだせぇ、『キリサワ』さんや」
「ふふ、勿論頑張るわ」
激励の声に、女性はにやりと笑った。
その笑みは、ただのキャリアウーマンが浮かべるには不釣り合いな、自信に満ちた不敵さをたたえたものだった。