ICHIZU…Last-3
ー夕方ー
「榊さん。どうぞ」
永井が冷蔵庫からスポーツ・ドリンクのボトルを取り出し、榊に渡す。
「ああ…すまないね」
練習を終えた榊と永井は、職員室で休憩していた。
盛夏の候、中学生に混じって長時間いるのは、40を過ぎた榊には堪えるようだ。
「今年はやけに暑いですね」
永井は榊の対面に座ると、キャップを取り、スポーツ・ドリンクを半分ほど飲んだ。
榊も同じように飲みながら、
「さすがに堪えるよ。自分達もそうだが、こまめな水分補給を心掛けてやらんとな」
「ええ、初日にいきなり倒れましたから…」
それは一昨日の練習初日の事だ。1年生部員がランニング中に倒れたのだ。
あの時は永井の応急処置が効いて事無きを得たが、それまで休憩の間隔を縮めるきっかけとなった。
「確かに彼等には、まだ基礎体力が……」
その時、扉が開く音がした。
2人の会話は途切れ、視線が注がれる。扉の前には佳代が立っていた。
永井が険しい顔をする。
この2日間、何の連絡もなく練習を休んだ事に彼は腹を立てていた。
だが、榊は首を横に振りながら、永井を手で制すると、
「どうした?澤田。何か用なのか」
榊は努めて優しく明るい声を佳代に掛ける。
佳代は入口で一礼すると、ゆっくりと榊と永井に近寄った。
「佳代。お前の私服なんて初めて見たよ。そうしてるとお前も女の子だなぁ」
オレンジのポロシャツにブルーのジーンズ。いつもは束ねている髪を肩まで降ろした姿を、榊はにこやかな表情で眺めていた。
だが、佳代の方はうつ向いて、口は固く結んだままだった。
「で、どうした?」
覗き込むように見る榊。
佳代は握っていた封筒を榊に差し出した。
「……監督……これを…」
封筒には《退部届け》と書かれていた。
「どういう事なんだ?これ」
榊は封筒と佳代を交互に見ながら訊いた。だが、佳代の方は黙ったままだ。
「辞めるのはお前の自由だが、せめて理由くらい教えてくれないか?なあ、佳代」
榊は説得するように言うと、佳代の言葉を待った。
長い静寂。窓の外で鳴くセミの声が、ひときわ大きく聞こえる。
榊も永井も何も語らず、ただ佳代を見つめていた。
佳代は頭を深く垂れると、
「……もう…もう、出来ません…」
絞り出すような声だった。
乱れそうになる感情を、歯を喰いしばって必死に抑え、ようやく出した言葉だった。
榊は眉間にシワを寄せ、〈諦めた〉ような苦い顔をすると、佳代の手から封筒を受け取った。