ICHIZU…Last-13
「イヨォ!久しぶりだな佳代」
藤野はサングラスをしたまま、白い歯を見せて佳代を呼び寄せる。
「こんにちは、コーチ」
佳代も笑みを浮かべて会釈すると、一哉はとんでもない言葉を言った。
「オマエ、暇か?」
「エッ?」
佳代が分からないと言った表情で問い返すと、一哉は笑みを崩さず答える。
「見ての通り今日は教える人間がオレしか居なくてな。正直、困ってるんだ。
オマエ、ちょっと手伝ってくれないか?」
「でも…私…グローブも…」
佳代が断わる理由を探そうとした時、藤野は〈ああ、グローブか…〉と言って、道具を入れたカゴの方に歩いていった。
(この隙に逃げようか…)
野球から離れたいと思っている佳代は、一瞬、そう考えた。が、身体が反応しなかった。
「グローブなら、ホラッ」
藤野が佳代にグローブを手渡す。
「コーチ、これって…」
「ああ…オマエが置いていったグローブだ」
藤野はニッコリ笑いながら答える。
それは彼女が小学校卒業の際、チームのためにと寄附したモノだった。
それは藤野の呼びかけで実現した。
ジュニアに入ってくる子供達の家庭が、一様に道具を買えるとは限らない。だから、必要無くなったバットやグローブを、チームに寄附してくれるようお願いしたのだ。
しかし、ほとんどの家庭は〈子供の記念のため〉と、断られたが、数人は藤野の考えに賛同してくれて寄附してくれたのだ。佳代もその内の1人だった。
懐かし気にグローブを見つめる佳代。思わず右手にはめてみる。
すると、革の柔らかさはあの頃のままだが、心なしか表面の艶が増しているように見えた。
「コーチ、これ……」
「ああ、オマエ達から貰ったグローブは、週に1回磨いてるよ」
藤野は続ける。
「じゃあ、オマエ、キャッチャーやってくれ」
「ハイッ!」
「それとな……」
藤野は帽子を手渡した。
「オレのスペアで大きいかもしれんが、被ってろ」
こうして再びノックが始まった。
藤野が打ったボールを各ポジションを守る子供達が掴み、佳代に返球する。
佳代は返球されたボールを捕ると、藤野に渡す。
しかし、ここ1週間、満足に食べてなく身体も動かして無かったからか、最初はボールに上手く対応出来なかった。
だが、徐々に身体が思い出したように素早い反応が出来ていった。
藤野はそんな佳代を見て、笑みを浮かべる。
太陽がジリジリと暑さを増す中、ノックは休憩を挟んで、1時間に渡り続けられた。