俺<蟻-1
俺には仕事が無かった。いや、無くなったばかりだ…それも昨日。
地方雑誌を発行してる小さな会社で3年間広告を担当してた。大学の友達みたいにでかい会社じゃないけど、結構楽しんでた。お昼には近くの店から弁当とって、同じ広告担当のミキちゃんのいれてくれるコーヒーを飲む。休みは近くの公園をぶらついたり、友達と飯食ったり。
それだけで別に不満は無かった。なのに会社が倒産した。社長は夜逃げ同然で、俺達下っぱはしばらく休暇だって言われたけど、皆くびだってわかってた。
俺の生活のピースが欠けた。つまり今日から何もする事が無い。する気も起きない。弁当もコーヒーも無い。
だから休みにしか行かない公園に来てみた。途中のコンビニで菓子パンとオレンジジュースを買った。弁当もコーヒーも買いたくなかった。
塗料のハゲたプラスチック製のベンチで昼食にする。平日昼間の公園は本当に誰も居ないんだな。こんなとこで昼飯なんていかにも無職をアピールしてるみたいだ。しかもジャージで。『いかにも無職』なんて、本当に無職なのに…と少し笑ってしまう。
明日からどうすれば良いんだろう。欠けたピースをどうやって埋めれば良いんだろう。誰も答えない。俺は一人だ。俺は…一人だ。
ふと下を見ると、足元に蟻が並んでいる。俺の菓子パンのおこぼれに預かってるようだ。俺は一人なのに、お前らはピースを無くす事もなく、一人でもない。
蟻を一匹だけ摘んで手の平に乗せる。これでお前も一人なんだよ。俺と同じだ。蟻は俺の手の平を歩き回る。歩き続ける。這い続ける。
けれどもよく見ると動きがぎこちない。足が一本無いようだ。ふと思い当たって右手を見ると、親指の爪の間に切り取られた足が挟まっていた。俺はお前から足と仲間を奪った。命だって奪える。でもお前はピースを探している。欠けた、いや奪われたピースを探してる。俺の手の平の上で。
お前は探している。そして俺は探していない。
…俺とお前は同じじゃなかった。
「山中さん?」
聞き覚えのある声。顔を上げるとミキちゃんがいた。ミキちゃんはいつものパリッとした格好では無く、ノーメイクでジャージ姿だった。いつもオシャレなミキちゃんのその格好に俺は心底驚いた。
「隣いいですかね?」
俺はベンチの端に少しよった。
「ちょっと自販機まで飲み物買いに来て…それで…こんな格好で…」
手に持った『飲み物』をチラッと見ると、明らかに酒だった。
少し曇ってきた。
しばらく俺達は話せなかった。俺は手の中の蟻を見た。
「当分ミキちゃんのコーヒー飲めなくなったな。本当に美味しかったよ。でも山崎はそうでもないっていうんだ。あいつ味分かってないよな?」
ミキちゃんは少しうつむいた。
「いえ、そんな事ないです。」
「そうか?あいつはただのインスタントだっていうけど、あれはどうみてもきちんと豆からドリップしてるよ。だろ?」
「はい、そうです。…でも…それは山中さんのだけで…。えっと山崎さんのは…本当にインスタントです…。」
思わず『どうして』と言い掛けたけれども勢い良く飲み込んだ。そんな事を口にすればデリカシーが無さ過ぎる。俺はミキちゃんを見た。バサバサの髪に、ノーメイクで、ジャージ姿で、酒の缶を握ってるミキちゃん。ハイヒールで颯爽と事務所を歩くミキちゃんを思い出してみた。ミキちゃんもピースを無くしてた。
…俺はミキちゃんにピースを見つけてもらいたい。自分のピースも無くしたままだけど。でもミキちゃんがノーメイクでジャージで昼間から酒なんて…そんなのはだめなんだ。見つかるまで探さないとだめなんだ。手の中の蟻みたいに。
「ミキちゃん。」
ミキちゃんは顔を上げた。
「明日から一緒に就職活動はじめよう。ミキちゃんは笑ってないとだめなんだ。俺に締め切りもうすぐですからって書類投げてくれないとだめなんだ。俺にあのコーヒーいれてくれないとだめなんだ。…だから…。だから…。」
ミキちゃんは俺の目を見つめていた。そして静かに泣いていた。
「はい。」
ミキちゃんがひとしきり泣いた後、俺達はベンチから立ち上がった。
俺はそっと蟻を列に返した。そして菓子パンをちぎって列の中においた。
それからミキちゃんと手を繋いだ。