刃に心《第26話・宴の後に》-13
「ち、ちょっと先輩!冗談が過ぎますって!」
「疾風さん…私ではダメですか?」
しっとりと艶のある声色で朧が問いかけた。その甘い響きに脳が溶かされるような錯覚さえ覚える。
頬が熱を帯びていく。突然の出来事にぐるぐると世界が回って見える。
「…私は疾風さんになら…」
朧はその潤んだ瞳を閉ざし、ゆっくりと疾風に顔を近付けていく。
「ま、待ってくださいッ!」
朧の吐息を感じるくらいの距離で疾風が叫んだ。
「疾風さん…?」
「せ、先輩は…すごく綺麗で…で、でも俺は…その…」
どうしていいか判らないといった表情の疾風。
その袖口はこんな状況になっても楓が握り締めていた。しかも、いつの間にか両手でしっかりと。
すがるように…。
または、疾風が何処かに行ってしまうのを怖れるかのように…。
「くす♪」
そんな光景を見た朧はくすりと笑うと、疾風の上から退いた。
「やっぱり疾風さんは面白いですね♪」
「な!?やっぱり冗談だったんですか!?」
「あら?残念でした?」
「そ、そんなことは…」
ゴニョゴニョと疾風の語尾が濁っていくのを、朧は目を細めて見つめる。
「でも、私は判ってましたよ。疾風さんに拒まれること」
「へ?」
「だって、疾風さんには大切な許嫁がいますもんね♪」
「な…!」
さらに真っ赤に変色した疾風に微笑みかけると朧はスッ…と立ち上がった。
「では、私はこれで。お気持ちが変わったら何時でも私の部屋に来て下さいね♪待ってますから♪」
「本当に先輩の冗談は心臓に悪いですよ…」
「あ、そういえば、疾風さん」
退室しようと扉を開けたところで、朧が急に思い出したように言う。
「私のこと綺麗だ、って仰って下さってありがとうございました♪嬉しかったです♪」
言い終えると朧は一礼して退室した。
後に未だ真っ赤に染まったままの疾風を残して。
「………はあぁ…」
朧が退室して数分後、疾風は深々と息を吐いた。
「月路先輩の冗談は質が悪いんだから…」
まだ激しく脈打つ心臓を緩やかに鎮めていく。
「そういえば俺達、許嫁なんだよな…」
傍らで眠る楓に視線を向けた。