刃に心《第25話・愚者が夢見る桃源郷》-1
キキィー!
軋んだ音を立てて、アスファルトをバスの大きなタイヤが擦る。
同時に扉が開き、中からゾンビ───ではなく、青白い顔をした疾風達がふらふらと降りてきた。
目の前には清楚な佇まいの宿。
新しくはないが、決して古臭くもなく、歴史と伝統を感じさせる静謐な空気がそこには漂っていた。
《第25話・愚者が夢見る桃源郷》
◇◆◇◆◇◆◇
淡い朱色の夕日が山々を染め上げていく。
時刻は午後5時。
出発してから7時間。
本来ならばもっと早く着く予定だったのだが、スポーツカーに触発され、七之丞が寄り道レースを挑み、その後迷子となったのだった。
その結果、到着が遅れ、長時間の乗車による疲労と乱暴な運転による車酔いがほぼ全員を襲うというさんざんなものであった。
「楓…大丈夫?」
疾風は振り返りながら言った。
「…ちょっと辛い…」
楓はそう言うが、顔色は蒼白でちょっとどころではないだろう。
「…あんまり無理するなよ?」
「…ああ」
「…みんなは大丈夫?」
仲間達にも声をかけたが、大半が瀕死の状態。
「…うにゃあ〜、きぼちわるいよぉ〜…」
「頑張れ…希早紀…後…少しだ…うぷっ…」
「ああー…まだぐるぐるしてるッスよ…洗濯機に放り込まれた洗濯物になった気分ッス…。
洗濯物はこんな過酷な状況で洗われてるんッスね…。
これからはもっと洗濯物を敬うッス…表示とかしっかり見て、優しく手洗いするッス…」
皆、一様に視点の定まらぬ瞳でよたよたと千鳥足で歩いている。
「何や自分ら。この程度でダウンかいな?」
疾風はキッ、と七之丞を睨み付けるが、弱った顔ではいまいち迫力がない。
七之丞もそれが判っているのか、ただニタニタと笑いながら目の前の旅館に向かって歩いていった。
◇◆◇◆◇◆◇
「いらっしゃいませ。ようこそ御出下さいました」
純和風の玄関を潜ると、待っていたのは初老ほどに見える女将と数人の仲居さん達だった。
「…予約していた忍足です」
「はい、お待ちしておりました。この二日間、当館は貸し切りでございますので、どうぞごゆっくりおくつろぎ下さいませ」
「ほな、ゆっくりゆったりさせてもらいます」
女将が腰を深々と折って、頭を下げると、七之丞は靴を脱いで、ずかずかと框を上がった。
どうやらこの男の辞書は遠慮という言葉の抜けた欠陥品らしい。
その後を疾風が申し訳なさそうに会釈しながら付いていく。
しばらくして、一行は仲居さんに案内され、旅館の奥の方にある豪華な部屋に辿り着いた。
部屋数は全部で6つ。それぞれ、杜若(かきつばた)、百日紅(さるすべり)、柘植(つげ)、棕櫚(しゅろ)、雛罌粟(ひなげし)、馬酔木(あせび)の間という、まるで漢字検定に出題されそうな草花の名前を冠していた。
単純計算で一部屋につき、二人が泊まることになる。