『ゲームメイカー』-27
キキキキキーッ!!
激しいスキール音とクラクション。一拍遅れて、ドンッ!という鈍い音と衝撃が襲った。
俺は何が起きたのかわからなかったが気付くと、景色が横倒しになっていて頬に冷たさを感じ、俺は自分がアスファルトに倒れている事に気が付く。俺は車に跳ねられたのだ。
ひどい耳鳴りがして体が熱い。視界に映る車から運転手が降りて駆け寄り、翠と話しているのが見える。2、3度頷きドライバーは携帯を取り出した。
電話している運転手の側を離れ、倒れている俺のところに彼女は近付くと、しゃがみ込んで耳元に囁く。
「馬鹿ね……追い掛けて来なければよかったのに……」
「(何を言ってるんだ翠?)………」
俺は喋ろうとしたが、声が出なかった。
「楽しかったわよ、啓介さん……ふふっ……あたしはね、こういう女なの」
「(どういう意味だ?)………」
「あたしはね、男が嫌いなの。ううん、憎んでいるのよ。だから、そんな男をあたしの虜にして、その後で捨てるのが楽しいの……」
「(嘘だろ?じゃあ、あれはすべて演技だったって言うのか?)……」
楽しそうに話すその顔は、笑顔さえ浮かべているように見えた。俺の意識は徐々に薄れていき、翠の声が更に遠ざかっていく。
「そんな男に媚びを売る自分が惨めで、情けなくて、興奮するの。ふふふ……」
普通、瀕死の人間に対して見せるはずのない恍惚とした極上の笑みを浮かべて自分の躰を抱きしめるようにして翠は笑っていた。熱を帯びていた身体が急速に冷えていく。そして、耐えようもない痛みが襲って来た。
「その後、男が堕ちていくのを見るのがなによりも最高の悦びなの。貴方は誰よりもあたしを満足させてくれたわ。……だって、死ぬところまで…み、見せてくれるかもしれないんだ…もの……」
死ぬ?俺は死ぬのか?
俺の頭もおかしくなってしまったんだろうか。狂気を孕んだ翠の顔を、誰よりも美しいと思って見とれてしまっていたのだから。
そして同時に思う。幼子をあやすように、瀕死の相手に対して微笑みを浮かべる彼女は、どんな凄惨な過去を持っているのだろうかと。
麻痺していく身体は、やがて痛みや息苦しさから解放されていく。ただ、頭の芯だけが妙に冴えていくのがわかった。
自分を蔑む事で得られる快楽。男を貶る事で得られる満足感。あの微笑みも、男を幻惑する性技も、すべてが冷徹に計算された行動だとは今でも信じ難い。
一体、今まで何人の男を翻弄してきたのだろう。或いはそれが、男への復讐なのかもしれない。その為には、自分の躰すら道具として使うのを厭わないほどに……
おそらく貶めた男が死んだのは初めてじゃないのだろう。ただ、目の前で死ぬのを見るのは初めてらしい。今までにないほど興奮しているのが、絶頂を迎えている表情によく似ているその顔が物語っていた。
女に溺れて、このザマか……まるで道化師だな。それなら最後まで演じてやるさ。どうせ死んじまうなら、それでいい……
くだらない俺の人生に似合いの幕引きだけど、ただ願わくば、終わりの無い復讐が俺で最期になって欲しい。そうすれば少しは俺も報われるってもんだろう?
「……お前に……怪我がなくて……よかっ…た……」
気力を振り絞り、俺は呟いた。
「理由……は分から…ないけど……どうせ…なら、俺で…最期に……しろ…よ。辛い……だけだ…ろ?」
その瞬間、狂気の笑みが崩れた。顔を引き攣らせて翠は俺を見ている。いつのまにか、身体を襲っていた激痛が消えていた。
どうしたんだろう……やけに薄暗い。翠の姿も段々とぼやけていく。不意に頬に雨が当たった。二粒、三粒、不思議と暖かい雨だった。